日本中國學會

The Sinological Society of Japan

『日本中国学会便り』2006年第1号

一.学会報第58集応募論文の審査

2006年1月20日締め切りの応募論文は、全40篇(哲学・思想12、文学・語学27、両部門1)。第57集が31篇だったから、昨年度比10篇増しの豊作をまず嘉したい。尤も、増えたのは文学・語学部門で、哲学・思想部門はほぼ横ばいである。

1月29日、在京の委員を中心に第2回委員会を開催し、「委員会規約」に則って、応募論文1篇につき査読者3名、閲読委員1名を選定した。査読者は論文審査委員を除く評議員から選び(テーマによっては一般会員に委嘱)、閲読委員はテーマに近い論文審査委員がその任に当たり、3名の査読者の評価を調整して掲載論文を決定する。依頼論文(哲・思2、文・語2の計4篇)についても閲読委員を選定。依頼しておいて「閲読」するのは執筆者に失礼のようではあるが、どんな大家・ベテランでも思い違いやミスはないわけではないので、本学会では論文審査委員の任務の一つとして制度化されている。

3月26日、第3回委員会を開き、査読者による審査結果にもとづいて慎重に審議し、計16篇(哲・思6、文・語10)の掲載論文を決定した。執筆者は、閲読委員によって取りまとめられた査読者(匿名)の意見・教示に従って修正し、まず4月末までに閲読委員に送付、閲読委員によって修正を確認されふたたび戻された原稿を、さらに修正すべきところがあれば修正の上、5月末までに編集当番校(筑波大・松本肇氏宛)に送付する、という手順も例年通りである。
なお、不採用になった論文24篇については、申し合わせに従って結果のみ執筆者に通知した。また、40篇の応募論文中、規定の制限枚数(400字詰め原稿用紙換算55枚以内)を超過するものが1篇あり、これは審査対象外とした。

二.学会報第59集依頼論文執筆候補者

上記3月26日の委員会において、哲学・思想部門、文学・語学部門より、それぞれ評議員1名、一般会員1名、計4名を選び、5月開催予定の理事会に推薦することとした。

三.学会賞の選定

学会報第57集掲載論文を対象とする学会賞は、同上3月26日開催の委員会において、評議員の推薦(アンケート)にもとづいて詮衡のうえ選定した。なお、従来は評議員会の審議と承認を必要としたが、本年1月、会則の変更が承認されたので、5月開催予定の理事会での審議によって決定しうることになった。

四.日本学術振興会奨励賞推薦者の選定

本件は旧年12月発行の『学会便り』でも報告しておいたが、評議員の推薦(アンケート)にもとづき同上26日の委員会において詮衡のうえ選定した。これも5月開催予定の理事会での審議を経て決定される。

五.余録

第58集応募論文は上述のように40篇の多きに及んだが、それに伴って査読者、閲読委員、それに幹事の負担が格段に増加した。単純計算しても、40×3、延べ120人の査読者が年度末の繁忙期に論文審査に当たったことになる。しかし、査読の先生方は手を抜かず、例年と同じく今年も丹念に読み込んだ熱意ある査読評が多かった。なかには、A4版で5枚にわたって長文の意見を寄せられた査読者もいる。いつかの論文審査委員会で、投稿者は至れり尽くせり、まるで家庭教師付きの厚遇だと洩らされた委員がいたが、それは決して我田引水ではない。ただ、残念なことに、査読者の意見が伝えられるのは掲載論文だけであり、不掲載論文については申し合わせによって、上述したように採否の結果しか通知されない。いかにも勿体ない話であるが、現状では種々の理由から止むを得ない仕儀になっている。
改めて注意を喚起しておきたいが、投稿者は学会報登載の「執筆要領」を熟読して応募されたい。今回も規定枚数超過(既述)は論外としても、枚数の記載がないもの、複写部数が足りないもの、誤字・脱字や初歩的ミスの多い論文が目に付いた。「執筆要領」は「完全原稿」を求めている。推敲に推敲を重ねて投稿していただきたい。


昨年、私は11月25,26日に北京大学で開かれた「左翼文学の時代」と題する1930年代中国文学研究シンポジウムに参加した。北京大学中文系、北京大学二十世紀中国文化研究センターと、40年近い歴史を持つとはいえ民間の一研究会である中国三十年代文学研究会との合同主催によるものであったが、北京大学側は周到な準備で臨み、熱のあるシンポジウムとなった。日本側からは14名、中国側からは北京大学に限らず全国から15名が報告した。北京大学出版会はこの日のために丸山昇氏の論文集『魯迅・革命・歴史──丸山昇現代中国文学論集』の刊行を間に合わせ、さらにこの日に合わせて伊藤虎丸氏の『魯迅、創造社与日本文学──中日近現代比較文学初探』の再版本も刊行した。シンポジウム二日目の後半には「日本的中国現代文学研究──曁丸山昇著作中訳本出版座談会」が開かれ、孫玉石、王得后、銭理群、陳平原、王中沈、孫郁氏らが発言した。

このシンポジウムに参加し、中国人諸氏の発言を聞きつつ、私はしだいに中国側の日本人研究者の研究に対する理解に重大な進展があり、若い大学院生たちにもそれが浸透していることに気づかされた。実はそれは伊藤虎丸氏の別著『魯迅与日本人──亜州的近代与“個”的思想』(2001年二刷)につづいて、2004年に木山英雄氏の『文学復古与文学革命──木山英雄中国現代文学思想集』が出され、孫歌氏が昨年の5月に日本で出した『竹内好という問い』(岩波書店)の中国語版(『竹内好的悖論』、北京大学出版社)が2月に、さらに3月に同じく孫歌氏らによって『魯迅』(1944)に戦後の評論「近代とは何か」、「近代の超克」などを加えた竹内好氏の論文集『近代的超克』が刊行され、これがベストセラーになり、それに丸山氏の論文集が加わるというようなことを背景としていた。そこでこの紙面を借りて、これまで日本人研究者の中国現代文学研究がどのように中国に紹介されているか、単行本に限ってであるが、遺漏を恐れず、紹介しておきたいと思う。

〓伊藤虎丸・劉柏青・金訓敏合編『日本学者研究中国現代文学論文選粋』吉林大学出版社 1987
〓呉俊編訳『東洋文論──日本現代中国文学論』浙江人民出版社 1998
〓〓叢林編訳『東瀛文〓──20世紀中国文学論』吉林大学出版社 2003
〓は吉林大学教授で『魯迅与日本人』(吉林大学出版社、1985)の著を持ち日本中国学の紹介に熱心であった劉柏青氏らと伊藤氏が共同編集したもので、17編の論文を収める。李冬木「精禽夢覚仍銜石─伊藤虎丸与『魯迅与日本人』」(『新文学』第三輯、2005)の注記によれば、劉柏青氏らは1986年から93年までの間に『日本学者中国文学研究訳叢』(吉林教育出版社)を第6輯まで刊行、118編の論文・資料を訳載しているが、これは古典文学の分野も含んでいるという。〓は華東師範大学の呉俊氏が日本で研究していた期間に編集したもので24編、〓は吉林大学の〓叢林氏が上記の『日本学者中国文学研究訳叢』などに訳載した論文14編を収めたものである。
〓増田渉著、鍾敬文訳『魯迅的印象』湖南人民出版社 1980
〓北岡正子著、何乃英訳『摩羅詩力説材源考』北京師範大学出版社 1983
〓竹内好著、李心峰訳『魯迅』浙江文芸出版社 1986
〓片山智行著、李冬木訳『魯迅「野草」全釈』吉林大学出版社 1993
〓伊藤虎丸著、孫猛・徐江・李冬木訳『魯迅、創造社与日本文学──中日近現代比較文学初探』北京大学出版社 1995、2005二版
〓丸尾常喜著、秦弓訳『“人”与“鬼”的糾葛──魯迅小説論析』人民文学出版社 1995、2001二刷
〓鈴木正夫著、李振声訳『蘇門答臘的郁達夫』上海遠東出版社 1996、2004二刷
〓相浦杲著、胡金定他訳『考証・比較・鑑賞──二十世紀中国文学研究論集』北京大学出版社 1996
〓坂井洋史・山口守合著『巴金的世界──両個日本人論巴金』東方出版社 1996
〓藤井省三著、陳福康編訳『魯迅比較研究』上海外語教育出版社 1997
〓坂井洋史整理『陳範予日記』学林出版社 1997
〓鈴木正夫著、李振声訳『郁達夫:悲劇性的時代作家』広西教育出版社 2000
〓藤井省三他著、陳国球編『文学香港与李碧華』(台北)麦田出版 2000
〓岡田英樹著、〓叢林訳『偽満州国文学』吉林大学出版社 2000
〓伊藤虎丸著、李冬木訳『魯迅与日本人──亜州的近代与“個”的思想』河北教育出版社 2000、2001二刷
〓坂口直樹著、宋宜静訳『十五年戦争期的中国文学』(台北)稲郷出版社 2001
〓竹内実著、程麻編訳『竹内実文集』(全10巻)中国文聯出版社、第1巻2001─第6巻2005(刊行中)
〓藤井省三著、董炳月訳『魯迅「故郷」閲読史──近代中国的文学空間』新世界出版社 2002
〓藤井省三著、張季琳訳『台湾文学這一百年』(台北)麦田出版 2004
〓木山英雄著、趙京華編訳『文学復古与文学革命──木山英雄中国現代文学思想論集』北京大学出版社 2004
〓竹内好著、孫歌編、李冬木・趙京華・孫歌訳『近代的超克』生活・読書・新知三聯書店 2005
〓丸山昇著、王俊文訳『魯迅・革命・歴史──丸山昇現代中国文学論集』北京大学出版社 2005
〓坂井洋史・張新頴合著『現代困境中的文学語言和文化形式』山東教育出版社 2006

〓、〓はともに著者の没後の刊行。〓は相浦氏の生前にほぼ編集を終え、王瑤氏の序と著者の自序は1987年に書かれているが、実際に刊行されたのは惜しいことに著者の没後であった。〓は本来〓の竹内好著『魯迅』につづいて同出版社から刊行されるはずであったが、どういう事情によるのか原稿が出版社に留められ、14年後にようやく刊行が実現した。竹内氏の『魯迅』は、銭理群、汪暉氏らの著書にその実存主義的な魯迅像との共鳴を認めることができるが、鋭い直感と論理の飛躍を特徴とする同書の理解は、原著によっても相当にむずかしく、所謂竹内魯迅の最も忠実な後継者であった伊藤氏の著書が引きつづき刊行されたならば、竹内魯迅に対する理解ももっと早く広まっただろうと惜しまれる。〓の『竹内実文集』は現在刊行中であり、各巻の表題のみ示せば、第1巻:回憶与思考、第2巻:中国現代文学評説、第3巻:毛沢東的詩与人生、第4巻:毛沢東伝記三種、第5巻:日中関係研究、第6巻:文化大革命観察、第7巻:中国改革開放進程追踪、第8巻:比較文学与文化研究、第9巻:中国歴史与社会評論、第10巻:中国文化伝統探究 である。

〓山田敬三・呂元明主編『中日戦争与文学──中日現代文学的比較研究』東北師範大学出版社 1992
〓陳平原・山口守編『大衆伝媒与現代文学』新世界出版社 2003
〓魯迅・日本東北大学留学百周年史編輯委員会編、解沢春訳『魯迅与仙台』中国大百科全書出版社2005
この3点は、日中共同研究の成果や合同シンポジウムの報告集。なお仙台における魯迅の記録を調べる会編『仙台における魯迅の記録』(平凡社、1978)は、馬力、程広林訳が『魯迅生平史料匯編』第2輯(天津人民出版社、1982)に収められている。

冒頭で言及した丸山、伊藤、木山3氏は、戦後教育を受けた第一世代として竹内魯迅のつよい影響のもとで出発し、しだいにそのスタンスをそれぞれ政治と精神、文化と倫理、言語と伝統に定めつつ、文学研究を深めてきた。かつて竹内氏が魯迅との格闘によって定式化した転向文化と回心文化のモデルについていえば、日本における戦後民主主義の挫折と高度成長、中国における文革の破産と改革・開放を経て転向文化の克服が今日日・中共通の課題となったことを力説したのは伊藤氏であったが、孫歌氏の労作は中国人の立場から竹内氏の問題提起をアジア共通の論理として改めて確認するもので、これがグローバリゼーションの中であるべき現代性を探る人々のつよい関心を呼んでいると思われる。竹内理解の欲求はつよく、今年に入って『魯迅研究月刊』は〓叢林訳『魯迅雑記』の連載をはじめた。
昨年、10月27日(木)から10月30日(日)の日程で、洛陽の龍門東山賓館で、「2005’白居易詩歌国際研討会」が開かれた。主催者は、龍門石窟研究院で、資金面の援助は洛陽市も行っているようである。私は、10月27日の夜「報到」し、30日の午前に洛陽を離れた。

この研討会の一つの特徴は、参加した学者の食事・宿泊・会務の費用を免除することであり、また国内専家学者の往復の旅費、国外専家学者の中国国内での往復旅費を、主催者が負担するというものである。1998年5月に、「李白与天姥国際会議」という研討会が紹興に近い新昌県で開催され、北京に在外研修でいた時の縁があって、この会に参加したが、やはり交通費や食事・宿泊の費用を新昌県が負担してくれた。李白の研討会もそうだったが、今回の研討会の開催も、市の観光事業を発展させるための企画の一環としての性格を持っている。主催者側としては、洛陽の観光事業を発展させるために、有力な観光資源の一つとして白居易を見なおし、今後の立案のヒントを得ようという目的を持って開催したものだろう。

会議に参加した学者は多くなかった。手元にある名簿では、21名。姓名と所属を記しておく。傅〓〓(中華書局総編室)、金堅範(中華民族文化促進会副主席)、卞孝萓(南京大学中文系古籍所教授)、蹇長春(西北師範大学文学院教授)、謝思〓(清華大学中文系教授)、尚永亮(武漢大学文学院院長)、古遠清(中南財経政法大学教授、台港文学研究所所長)、陳才智(中国社会科学院文学研究所古代研究室副研究員)、費秉〓(西北大学文学院教授)、石雲濤(北京外国語大学国際交流学院教授)、〓雪艶(清華大学外語系副教授)、劉寧(北京師範大学文学院副教授)、李菁(廈門大学中文系副教授)、檀作文(首都師範大学中国詩歌研究中心副教授)、藍海文(香港・天馬出版有限公司社長)、馬銘浩(台湾・淡江大学中文系教授)、下定雅弘(日本・岡山大学文学部教授)、金卿東(韓国・成均館大学中文系副教授)、紺野達也(日本・早稲田大学博士課程、北京大学中文系高級進修生)、土谷彰男(早稲田大学博士課程、北京大学中文系高級進修生)、渡部玲子(早稲田大学博士課程、社会科学院文学研究所高級進修生)。
会議は、28日は、午前中、会議センターにおいて、開幕式および全体会議が開かれ、午後は、ホテル内の会議室で討論会が行われた。

開幕式では、市の幹部の挨拶や、龍門石窟研究院院長の挨拶などがあり、その後、傅〓〓氏が発言、韓愈学会や、杜甫学会などのように、白居易についても全国的な学会を作る時期が来ているということをいわれた。午前の全体討論では、謝思〓(発表題目は「白居易詩中所見洛陽水系」、以下同じ)・馬銘浩(白居易詩的民歌性質)・下定(白居易的斎戒)が発言。午後は、謝思〓氏が前半の司会を務め、卞孝萓(解読白居易〈思子台有感二首〉)、蹇長春(論江州之貶是白居易前後期思想的分界線――兼与王謙泰先生商〓)、金卿東(諷諭、閑適、感傷、雑律――再論白詩分類法)、尚永亮(白居易百年研究述論)の発表があった。後半は下定が司会にあたり、陳才智(元白唱和詩述論)、石雲濤(人生坐標的重新定位――分司東都与白居易的仕宦心態的変化)、古遠清(長恨歌的芸術魅力)、劉寧(常情与知性―従白居易詩歌表現“情”的方式看〈長恨歌〉的情感内涵)、紺野達也(略論白居易詩中田園)の発表があった。

29日は、午前が、前日に引き続く報告と討論。午後は、総括討論だった。

午前は、前半は、尚永亮氏の司会で、土谷彰男(白居易評“警策”考――韋応物“兵衛森画戯、燕寝凝清香”句与白居易的影響関係)、費秉〓(〈長恨歌〉是抒写時代心緒的悲劇長詩)、檀作文(白居易対陶潜的接受[以閑適詩為中心])の発表があり、後半は蹇長春氏の司会で、李菁(解読〈塩商婦〉)、〓雪艶(白居易与日本的隠遁思想)、藍海文(自作散文詩の朗誦)、渡部玲子(李白和白居易飲酒詩的淵源)の発表があった。
午後は、金堅範氏の司会で総括討論。白居易学会をどのように全国的な学会に発展させていくのか?洛陽の観光事業をどのように発展させていくのか?などについて議論がなされた。「白居易についての専門の刊行物があっていい」、「記念館が必要。白居易の一生や生活、文学面での功績がすぐにわかるようにする」、「韓国での観光客向けの宣伝・接待の周到さに学ぶべきだ」、「テレビのドラマなども作ったらいい。洛陽と白居易を結びつけたものを」など、さまざまな意見が出されたが、具体的な提案に乏しく、実際に全国的な学会を発足させることになるかどうかについては、こころもとない印象を持った。研究と討論についての総括は、傅〓〓氏が所用あってすでに洛陽を離れていたこともあって、謝思〓氏が行った。

総括討論の終了後、龍門の石窟を参観。夜は「聯誼会」で楽しい一時を過ごした。
30日は、午前中、白馬寺・車馬坑博物館を参観、昼食後散会した(ただし、筆者および金卿東夫妻、陳才智氏・李菁氏の5名は、いずれも白馬寺参観の段階で、事務局が用意してくれた車で鄭州の空港に向かった)。
学会での議論について、筆者の印象に強く残ったことを記しておく。

一つは、白居易の一生の見方について興味深い議論があったことである。28日午後の討論会で、蹇長春氏と石雲濤氏との間で、白居易の一生の「分期」問題で激論が戦わされた。蹇長春氏は、氏の従来の説(『旧唐書』以来の説でもある「定論」)を堅持して、江州に左遷された元和十年こそが、白居易の前後期の思想を分かつ境界線であることを強調された。これに対して、石雲濤氏は、長慶四年、白居易が杭州刺史を離任して、太子左庶子に任ぜられて東都に分司した時こそが、白居易の一生の生活と思想を前後期に分かつ分水嶺であると主張した。氏は次のようにいわれる。東都に分司する以前の白居易は、不断の挫折の中で次第に上昇していく時期であり、政治家として大いに為すことのある時期だった、江州左降も前期の不断の上昇の中の一時の挫折に過ぎない。東都に分司して以後こそは、宦官の害と朋党の争いなどの渦中にある汚濁を避けて、「窮すれば則ち独り其の身を善くす」の信念をまっとうし、「潔身自好」の生活を貫き通したのであって、それまでの生き方とは異なる。したがって、これまでいわれているような消極的な意味あいで、洛陽に閑居した彼の人格と心境を理解してはならないと。

石雲濤氏の白居易の一生についての見方には、なお「独善」の理解について、日本の学界で到達している内容とは異なる面があるが、江州左遷以後を消極的・退嬰的として、一概に否定的に見てきた、長期にわたる中国の学界での見方を思えば大きな進展があり、我々の見方に近づいているだろう。

いま一つは、「分期」問題についての見方とも関連するが、上記のように、諷諭詩を中心とした発表は一つだけであり、それも詩の内容を当時の経済情勢から深めようというものである。逆に閑適詩や、白居易の情感の特質に焦点を当てた発表がなされていることにも見えるように、「文芸服務政治」の観点はほぼ完全に過去のものとなって、白詩のさまざまな面につき、その内容の多様さに即して、価値を探究しようとする姿勢が顕著に現れている。総じていって、今回の中国の学者の発表は、中国における白居易研究が、日本の学界のそれに次第に近づいていることを反映したものと思われる。今後、白居易研究は、日中両国を中心として、ますます白居易への共通の理解と共通の言語を増加させて、多様な広がりを見せ、大きく発展していくだろう。

本会の沿革
1997年9月 日中言語対照研究会設立。会則制定。
1998年6月 大東文化会館(東武練馬)で日中言語対照研究会第一回大会開催。
2002年6月 会名を日中対照言語学会と変更、現在にいたる。

会員総数(2006年1月20日現在)
138名(うち顧問12名、会員126名)
役員(2005年~2007年)
理 事 長:横川伸、副理事長:高橋弥守彦、常任理事10名、理事30名
顧問代表:今冨正巳、顧問副代表:鈴木康之、顧問8名
査  読:委員長高橋弥守彦、委員15名

本会の趣旨
日中両言語の対照研究と中国語・日本語の各研究および会員相互の交流と親睦を図ることを目的とする。

現在の活動状況
1.大会(毎年6月と12月に開催)
2.月例会(毎月第三金曜日19時~21時
新宿駅より総武線3番目の駅、信濃町駅下車、駅ビル三階 大東文化大学法科大学院第二会議室)
3.週例会(毎週土曜日19時~21時、同上)年大会と月例会とは研究発表、週例会は中文日訳と日文中訳の翻訳に関する討論と研究。毎年8月は研究活動休止。
4.学会誌等の発行
学会誌は白帝社から1999年に創刊号出版、昨年7号出版。会報は年2回発行。週例会の研究成果も出版予定。
5.中国の「漢日対比研討会」との交流
中国の北京外国語大学で毎年8月下旬に漢日対比研討会が開催される。本学会の会員の研究発表もある。
6.その他必要な事業


2005年度の第13回大会は6月4日・5日に東洋大学白山校舎で開催された。テーマと研究発表者は以下の通りである。

6月4日(土)研究発表
指示詞の日中対照――“〓,那”を中心にして――
三上 強(大東文化大学・院)
二字漢語の日中対照
吉田雅子(早稲田大学・院)
受動と結果――日中対照の立場で――
黄 春玉(名古屋大学・院)
論説文の日中対照――日本語教育からの修辞的特徴――
松浦とも子(早稲田大学・院)
“有界”“无界”と非対格仮説
山口直人(大東文化大学)
6月5日(日)講演と研究発表
研究発表
中国メディアが報じた日本のニュースを分析する。
竹中佐英子(目白大学)
“V上”的“上”
章 天明(関西学院大学・非)
講演
中日辞典と漢和辞典
倉島節尚(大正大学)
言語における普遍と普及――うなぎ文をめぐって――
奥津敬一郎(都立大学名誉教授)
研究発表
方向補語“〓/〓来/〓去”について
丸尾誠(名古屋大学)
“了”再考
王 学群(横浜国立大学・非)
時間副詞とその日本語訳について
高橋弥守彦(大東文化大学)

2005年度の第14回大会は12月23日に東洋大学白山校舎で開催された。テーマと研究発表者は次の通りである。

日本語と中国語の無生物主語の他動詞文について
熊 鶯(学習院大学・院)
中国人日本語学習者への終助詞の教授法――終助詞とそれに相当する中国語表現を対照して――
山田京子(早稲田大学・非)
連語論から見る位置移動動詞“上”について
高橋弥守彦(大東文化大学)
中国語の“〓来”と日本語の“〓てくる”について
王 学群(横浜国立大学・非)
形容〓化的〓〓〓知基〓
〓 国〓(中国北京社会科学院)
〓〓〓否定句的〓〓
戴 耀晶(日本お茶の水女子大学・中国〓旦大学)
体短〓和〓气
〓 〓〓(筑波大学)

なお、本学会研究発表者の持ち時間は50分(発表時間35分、質疑応答15分)。本年度は会設立10周年にあたり、6月と12月の大会は大東文化大学で開催予定。


2005年5月30日発行『日中言語対照研究論集』第7号は総頁数179頁、発行500部、掲載論文10編。掲載論文と執筆者は下記の通り。

多〓口〓〓机制与〓日〓比研究
于 康
「“〓来/〓去”」と「動詞+“〓来/〓去”」の“〓”と空間名詞との関係について
高橋弥守彦
“V着(zhe)”のかたちの命令文再考
王 学群
特殊文型中における動態助詞“着”の機能について
〓 岩〓
空間表現における「まえ」と“前”の日中比較
白 〓仙
配慮表現の日中対照研究
姚 灯〓
中国語の遊離数量詞
山口直人
ニュース中国語の翻訳について
竹中佐英子
数量詞の後の「も」について
大橋志華
結果の意味を表す形容詞状語と意図性――日中対照の立場で――
黄 春玉

なお、本学会の投稿締め切りは毎年9月30日、あて先は白帝社、査読は一編につき三名、中国語のチェックは一名により行う。

問題と展望

本学会のホームページ開設は3年前から検討されているが、諸般の事情によりまだ開設されていない。現在も開設のための討論が展開されている。より開かれた学会への方向転換のためにも早急な開設が必要であろう。特に普段の学会活動の報告が極端に少ないのは残念である。ホームページを開設することにより、早急にこれらの不足を補いたい。会員の拡大も急務の一つであろう。これまでの学会参加者はかなりの数にのぼるが、会員となると、まだわずか100名余りである。これからは会員参加を呼びかけていきたい。

先ごろ亡くなった詩人の茨木のり子が「内海」という文章で、次のようなことを述べている。「…ある日ある時、愕然とさせられたことがある。/それは、地図をまったく正反対に、つまり大陸側から見た日本の図に接した時だった。地球の球体をなだらかになぞり、大陸側から眺めると、日本海はまるで内海か湖水のようで、日本列島は向こう岸の土手か、堤防のようであった。/なるほど、こういうことであったのか。固定観念をみごとに粉砕された快感でもあり、地図をひっくりかえしてみるという発想が今まで自分になかったことが情けなくもあった。」(筑摩書房『一本の茎の上に』所収)
文部科学省科学研究費補助金による特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成―寧波を焦点とする学際的創生―」というプロジェクトが平成17年度に出帆した。略して「寧波プロジェクト」(愛称「にんぷろ」)である。様々な熱い想念の集合体であるこのプロジェクトの趣旨を一言で説明することは困難であるが、この文章を書いている私個人は、冒頭に引用した茨木の文章の如くそれを理解している。つまり、このプロジェクトを通じて、茨木の感じた「快感」と「情けなさ」とを、学術的な精度をもって実感したいと思っている。

この共同研究プロジェクトの詳細については、HP(http://www.l.u‐tokyo.ac.jp/maritime/)やニューズレター『青波』第1号をご覧いただきたい。あるいは、領域代表・小島毅(本学会会員)の手になる『義経の東アジア』(勉誠出版)という本を読んでいただくと、当科研が目指している方向性がよく分かってよいだろう(ただし、ユーモアを解さない人は手にされないほうがよいかも知れません)。ここでは、「にんぷろ」の基本構想、進行状況、今後の展望について、私個人の見聞きしている範囲においてかいつまんで紹介していきたい。

「ところでお前は誰なんだ!」という声が聞こえてきそうなので慌てて補足するが、私は「にんぷろ」内の「現地調査部門」(後述)副代表を務めている者である(もちろん、本学会の会員でもある)。多士済々の「にんぷろ」にあって、あえて私が紹介文を書くはめになったのは、この企画が立ち起こる原動力の一つになった「宋代史研究会」という研究グループに院生の頃から顔を出していた、その流れで比較的早い段階からこのプロジェクトのことを知っていた、というのが一つの理由ではある。もっとも、世に名前の知られていない私のような人間に書かせたほうが高いサプライズ効果が期待できるという、「にんぷろ」構成員でもある本学会市來出版委員のご判断によって、私に依頼が廻ってきた、というのが真相かとも推察する。いずれにせよ、この文章で私は「にんぷろ」を紹介するが、決して「にんぷろ」を代表しているわけではないという点は、ご了解いただきたい。

さて、本題に移る。世界をどういう「まとまり」で切り分けるのか、ということは、世界をどう認識するのかということの根幹に関わる問題である。昨今、「地域」という概念が様々な領域で強調され続けてきたのも、我々が無意識裡に自明の「まとまり」とみなしてしまう「国民国家」的な視点を乗り越えようとしてのことであろう。だが、申すまでもなく、「地域」とは、閉じたシステムではない。それぞれの「地域」は複雑かつ絶妙な交流を他の「地域」ともち、「圏域」を形成する。「にんぷろ」が「東アジア海域交流」という文言を掲げたのも、このような事態を意識してのことに他ならない。そして、この文言と「と」という接続詞を介してつながっている「日本伝統文化」なるものに対しても、「にんぷろ」は同じスタンスで向き合っている。つまり、「日本伝統文化」なるものの実相を、閉じた静態的なシステムのなかで捉えるのではなく、具体的な諸地域間の交流の複合体である「東アジア海域」という視点のもとに解き明かすことが目指されている。その意味で、接続詞「と」は、「イコール」を意味するものと捉えるべきである。東アジア海域交流を検討することが、つまり日本伝統文化の形成を解き明かすことになるのだ。

では、なぜ「寧波」なのか。お手元の世界地図を拡げていただきたい。寧波が、沿海・内陸・海外を結ぶ「ハブ(hub)」の位置にあることがお分かりになるだろう。「ハブ空港」という言い方があるように、「ハブ」とは簡単に言えば「中軸・中枢」の意味だが、寧波にこの語を冠するうえで、二つの意味合いをここにこめたいと思う。つまり、諸地域をとりむすぶ結節点・中継点としての「寧波」と、多くのものがそこを目指しそこから出発していく基幹地域・歴史文化の宝庫としての「寧波」である。東アジア海域交流「と」日本伝統文化形成を考えるうえで、「寧波」という地域にはそれだけの意義があるのである。ちなみに、平成18年センター試験「日本史B」の問題にも、「寧波」は登場している。「日本」と「寧波」との親和性は、そんなところにもうかがえよう。

以上のような基本構想のもと、多種多様な領域の研究者が「にんぷろ」に結集した。本学会の会員については、私がざっと数えただけでも、40人を超える研究者が「にんぷろ」のメンバーである(全体の3分の1弱)。その他では、中国史や日本史の研究者が多くを占めるが、それにとどまらず自然科学分野までをも含みこむ構成となっている。プロジェクト全体を統括する「総括班」、運営業務に携わる「秘書組」の他に、文献資料の解読・利用を方法論の次元から再検討することを通じて学際的な新領域の創生を試みる「文献資料研究部門」、現地調査を通じて地域や海域のシステムや集合心性を明らかにしようとする「現地調査研究部門」、東アジア海域世界における交流の全体像を多面的アプローチによって検討する「文化交流研究部門」の3部門が設けられている。具体的なテーマを研究する計画研究グループは、3部門のいずれかに属し、総計34班にのぼる。これだけの大所帯であるから、いろいろと苦難も多く、現在も試行錯誤の状態である。審査の段階から今に至るまで、「寄せ集め」との批判が後を絶たないのも事実である。「にんぷろ」構成員たちはそれらの批判を真摯に受け止めつつ、様々な具体的な営みを通じてそれを克服しようとしている。

例えば、平成17年9月には、本学会の会員6名を含む「使節団」(全8名)が中国に派遣され、浙江大学・浙江工商大学・寧波大学・浙江万里学院・復旦大学で科研の趣旨説明と共同研究の呼びかけを行ない、熱烈な歓迎と有益な提言を頂戴した。これらの大学全てがプロジェクト遂行のうえでかけがえのないパートナーとなる大学であることは言うまでもないが、この訪問でいきなり関係をこしらえようとしたわけではない。留学、研修、共同研究、教育提携等を通じて、使節団メンバー(およびその所属機関)とこれらの大学との間には、すでに密接な関係が構築されていた。このような国際的な協力関係が「にんぷろ」の動力・結集力のひとつになっている。

また、上記の3部門では、文献資料研究部門が今年1月に「文献資料学の新たな可能性」、現地調査研究部門が同2月に「寧波研究の課題と可能性―なぜ寧波が焦点となるのか」と題して、大規模な国際シンポジウムを開催した。総括班が同2月に主催した国際シンポジウムの題名「東アジアからの東アジア文化史―共同研究の手法」からもうかがえるように、これらの企画を通して真の「共同研究」の手法が模索されている。また、文化交流研究部門が今年12月に九州国立博物館と共催で国際シンポジウムを計画していることが象徴するように、その模索は「大学」の枠を超えてなされている。さらに、これら「部門」とは別に、従来の学問区分に親しい「思想」「文化」「生活」「環境」「海域」「社会」という分野区分も設けられ、部門横断的な連係が随時行なえるよう心がけられている。自由闊達な機動性も「にんぷろ」の特色である、と言ってよい。

私自身、「にんぷろ」の企画のいくつかに参加してみて、いろいろなことを感じた。このような国際的な企画において実に流暢・的確に通訳をこなされている若手研究者の方々を見て、非常に鮮烈な刺激を受けた。また、様々な地域から/様々な学問領域から結集した研究者たちによる第一線の議論に触れて、研究計画グループの枠に閉じこもらない、学際的で国際的な研究意識を常に保持しなければならないのだ、という自戒に襲われた。それは、自分が携わっている学問領域を低く見積もることには決してつながらないのであって、逆に、自分のやっていることや学んできたことの特性や魅力、改善点を自覚させられることがしばしばである。例えば、米国の歴史学者の研究報告を聞いたあと、その刺激によって無性に中国哲学の古典が読みたくなったり、地域社会史の研究者と雑談した後では、漢文資料の感触がどこか違ってきたりするのだ。これを、知的快楽と人は呼ぶのであろう。

おそらくこの5年間のうちに、大規模で深度をそなえた知の地殻変動を、「にんぷろ」は学術界(もちろん、一般社会への研究成果の還元もすでに具体的に動き出しつつある)にもたらすことになるだろう。そこから、質的に新しい資料・事実の発掘発見、その新たな解析法の開拓、現場の実感を可能な限りくみとった形での地域研究、あるいは真に国際的で学術的な相互理解等々、まさにこのプロジェクトが掲げる「学際的創生」の道が切り拓かれていくはずである。今後も、国内でシンポジウムが開催されるだけでなく、海外の研究者と協同で研究の場を設けたり、海外の国際学会に研究者の派遣を行なったりするなど、企画が目白押しとなっている。

さて、ここからが、この文章の真の目的である。如上の文章に少しでも興味をもたれた方はどなたでも、ぜひ「にんぷろ」とコンタクトを取っていただきたい。上記HPやアドレスを通じてでもよいし、すでに触れたごとく、「にんぷろ」メンバーは本学会内に数多くいる。HPや『青波』でそれらの方々を確認し、話を聞いてみるのもよいだろう。この「にんぷろ」は、いわゆる公募方式を採用していないけれども、それは逆に、いろいろな方々とのセッションを自由にしやすくするためである(領域代表談)。そもそもの話、申請時メンバー137名の平均年齢が48.3歳と比較的若く、領域代表が40代前半の助教授であるようなプロジェクト(これは、特に中国の研究者のかたが「中国ではありえないことだ」と繰り返し指摘される点である。もっとも、日本でもそうはない話だと思うが)である。何の気遣いもいらない。

さらに、このプロジェクトは、「比較的若手」の研究者たちが、「真の若手」、つまり次世代の研究者を養成していくことを、申請時の公約に(不遜の謗りも恐れずに)掲げている。プロジェクトに興味をもたれた若手の方々に対して、「短期集中セミナー」が開催される(第1回目は今年7月に東京で)とともに、国内外で行なわれる国際学会や現地調査への派遣支援が積極的に行なわれる予定であるし、既にその活動は始められている。その意味でも、上記HPに掲載されている情報を注視し続けていただきたいし、「にんぷろ」関連の大小さまざまな企画にもどんどんと顔を出していただきたい(口も出していただけると、より嬉しいです)。

もう十年近く前になるが、在外研修で訪れた中国で、ある老先生からお聞きした言葉が忘れられない。その先生は、異国から来た中国語もまともに話せない私に対して、「学問は天下の公器なり」とおっしゃってくださったのだ。だから、あなたの来訪を歓迎しますよ、とのお言葉である。この文章の最後を、この言葉で飾りたい。
中国における日本中国学の翻訳──現代文学の場合


「日本中国学会会則」の変更に関する投票結果のお知らせ

平成17年10月7日開催の評議員会において、理事会提案の会則改正案が承認されました。これを受けて、日本中国学会会則第17条(※)に基づき全会員の投票(平成18年1月7日投票用紙発送、1月25日投票締切り)を行いました。
開票結果は以下の通りです。

 

投票総数:425票

可  :402票

否  : 23票

無効 :  0票

 

上記投票の結果「日本中国学会会則」改正案は可決されました。

※日本中国学会会則 第17条
本会則の変更は評議員会の議を経て普通会員・外国人留学生会員及び国外会員の全会員の投票による
2005年度委員会報告
[選挙管理委員会]


◎北海道中国哲学会

二月四日
・陳子龍の八股文について
北海学園大学非常勤講師 金原 泰介
三月二十四日
・孔広森『公羊通義』の研究田村  将
五月十三日
・厳可均の輯佚学について水上 雅晴
五月三十一日
・蔡温の死生観について国吉 るり
・『荀子』天人之分の再検討関村 博道
六月二十四日
・雍正帝の道統論―雍正二年の文廟従祀を中心として―田村  将
七月二十七日
・方学漸・方大鎮父子の思想展開について
東北大学大学院文学研究科教授 三浦 秀一
十月二十八日 ―修士論文構想発表会―
・蔡温『客問録』とその死生観国吉 るり
・荀子と董仲舒―「類」という観点から関村 博道
・『墨子』の「兼愛説」について田中 由美
十一月二十五日
・卜辞中に見える「衆」及び「衆人」について
和田 敬典
十二月二十二日
・『孟子』万章下篇「金声而玉振之」について―馬王堆帛書『五行』をてがかりに―西  信康
○第三十五回大会 八月三日
於北海道大学「エンレイソウ」2F大会議室
[学術報告]
・雍正二年の文廟従祀に関する一考察田村  将
・『東坡易伝』に見える軍事思想加藤 真司
[特別講演会1]
・中国古代思想における「誠」概念の形成と展開―非言語統治術の観点から―
台湾大学哲学系助教授 佐藤 将之
[特別講演会2]
・卦爻辞の字義の演繹から論じる《周易》経伝の関係
台湾大学中国文学系教授 鄭  吉雄
(通訳)呉  明〓
○刊行物
『中国哲学』第三十三号(三月)(水上雅晴 記)

 

◎東北支那学会例会

○卒業・修士論文発表会
二月二十一日(卒業論文発表会)
・漢代における黄河の治水問題飯塚 洋平
・前漢の循吏と酷吏石塚  聡
・曹操の人才主義と九品官人法 関川 貴博
・孫呉政権における皇太子問題斎藤 英幸
・『捜神記』研究─『捜神記』における蛇─
竹谷  優
・玄宗時代政治史と李林甫田中 秀明
・白居易の詩に見られる女性像─母・妻・娘を中心として─薄木佐知子
・巴金『家』における受身表現の特色について
久下  道
・紅衛兵、運動の軌跡深沢  剛
二月二十二日(修士論文発表会)
・晋・劉宋における観音信仰について─竺法護訳「光世音普門品」・青蓮院本傅亮『光世音応験記』の比較検討と「至誠」─山崎 順平
・先秦婚姻考伊藤  幸
・楚辞研究─招魂篇について─田島 花野
・北魏の東西分裂について飯塚 朋之
・『三国志平話』における諸葛亮像の形成
菅原 尚樹
・巴金『家』版本研究佐藤  淳
(緒方哲也 記)

◎東北中国学会

○第五十四回大会 於東北大学
第一日(五月二十八日)
[研究発表]
・隋から唐初における煩脳観について
岩手県立大学盛岡短期大学部 高野 淳一
・明代観政進士制度考東北大学 大野 晃嗣
[公開講演]
主催:漢字文化振興会・東北中国学会
共催:中国文史哲研究会
・中国における戯曲文学の発生
東京大学名誉教授 田仲 一成
第二日(五月二十九日)
[研究発表]
第一分科会(文学・哲学)
・冊封使節来琉時における詩文交流─『渡流日記を中心に』─東北大学大学院 平良 妙子
・王褒「洞簫賦」をめぐって
関西学院大学(非) 上原 尉暢
・晋・劉宋における観音信仰について
宮城県貞山高校 山崎 順平
・「文人弾詞」制作の背景─春谷先生校『何必西廂』を例に─石巻専修大学 輪田 直子
・狩野文庫本『華英通語』について
京都産業大学 矢放 昭文
第二分科会(史学)
・『魏書』の五胡十六国史に対する認識
明治大学大学院 梶山 智史
・開封尹時代の宋太宗東北大学 見城 光威
・北宋末蔡京政権と御筆
京都大学大学院 藤本  猛
・史彌遠専権体制における内廷勢力
北海道大学大学院 小林  晃
(緒方哲也 記)

◎東北大学中国文学談話会

○平成十六年十二月四日
第一六二回東北大学中国文学談話会―卒業論文中間発表会―
・白居易の詩について薄木佐知子
・『捜神記』について竹谷  優
○平成十七年八月三日
第一六三回東北大学中国文学談話会―卒業論文構想発表会―
・映画『覇王別姫』における梨園の研究金子 明加
・『燕京婦語』について沢田  梓
・『西遊記』李卓吾評本と『西遊記』の物語性について福島真奈美
○平成十七年十一月十二日
第一六四回東北大学中国文学談話会―卒業論文中間発表会―
・映画『覇王別姫』における梨園の研究金子 明加
・『燕京婦語』について沢田  梓
・『西遊記』李卓吾評本評点における話者と読者の関係性についての研究福島真奈美
(緒方哲也 記)

◎筑波中国学会

〇例会
五月二十六日(木)
・王勃研究―初唐文学の一考察有馬 みち
六月二日(木)
・梁簡文帝研究鎌田 崇嗣
七月七日(木)
・杜甫の「狂」について山島めぐみ
・曹植楽府研究高橋 大輔
九月二十二日(木)
・王勃研究―蜀期の体験と創作への影響
有馬 みち
十月六日(木)
・簡文帝・その逸脱の文学―楽府を中心として
鎌田 崇嗣
十一月二十四日(木)
・杜甫における遊びの精神山島めぐみ
十二月一日(木)
・曹植遊仙作品における飛翔の意味について
高橋 大輔
(松本肇 記)

◎中国文化学会

○例会
三月五日(土) 於筑波大学東京キャンパス
・『三国志演義』をどのように研究したらよいのか?
小松 建男
・“蔚wei”〓什〓念“yu”?劉  勲寧
九月二十四日(土)於筑波大学東京キャンパス
・久米邦武と重野安繹佐藤 一樹
・曹植遊仙系作品の考察高橋 大輔
十二月三日(土) 於筑波大学附属中学校
・近代の漢文科存廃論石毛 慎一
○大会
六月二十六日 於千葉大学
[研究発表]
・蘇軾の閑適の詩について山口 若菜
・成玄英の非物と無物貝田 章子
・大上氏『〓康論』に於ける政治と文学の関係を巡って北村 良和
・「人虎伝」本文の生成について坂口 三樹
・呉昌碩と周夢坡松村 茂樹
・藤原頼長と経書研究高橋  均
[シンポジウム]
・東アジア(日本・中国・台湾・韓国)の漢文(古典)教材の比較
コーディネータ 青木 五郎
パネリスト   渡辺 雅之
木村  淳
大橋 賢一
辛   賢
(平成十六年補遺)
○例会
一月三十一日(土)於筑波大学東京キャンパス
・映画がモダンになるまで―上海都市文化と中国電影の黎明期白井 啓介
三月七日(土) 於筑波大学東京キャンパス
・王維における自然詠法の一考察斎藤  聡
・最近の中国図書館事情―北京図書館、中国国家図書館を中心に阿川 修三
五月八日(土) 於筑波大学東京キャンパス
・いわゆるverb‐copying文について太田恵理子
・梁啓超の北碑論菅野 智明
九月二十五日(土)於筑波大学東京キャンパス
・九十年代中国映画状況を振り返る ―「紀実」「若手」監督作品を中心にして舘 けさみ
・東南方言における受益から処置への文法化
佐々木勲人
十二月四日(土) 於筑波大学東京キャンパス
・民国元年新劇同志会の演劇活動―春柳劇場に至るまで鈴木 直子
・語気助詞の“〓”と“〓”安藤 好恵
○大会
六月二十六日 於上智大学
[研究発表]
・『田舎荘子』と成玄英貝田 章子
・杜牧の「清明」詩に因む「杏花村」の再形成
小林 佳廸
・現代中国語における動量詞「度」について
浅野 雅樹
・顧炎武にとっての古音研究―その動機・意義づけをめぐって―渡辺  大
・韓愈の「〓魚文」について谷口  匡
・陶淵明と南朝民歌―「帰去来兮辞」の題名との関連を中心に―沼口  勝
[シンポジウム]
・漢学における日本近代への経路―自己像の定立、他者像の形成
司会者 白井 啓介
発言者 大塚 秀明
高橋  均
佐藤 一樹
(小松建男 記)

◎国士舘大学漢学会

○第三十九回大会(二月二十日)
[卒業論文発表]
・李白研究市川  慧
・『荘子』思想研究外村和加奈
・「人虎伝」と「山月記」の比較研究土田 武生
[卒業生報告]
・上海留学を終えて―中国留学を志す人のために―
二松学舎大学大学院博士課程 川辺 雄大
[研究発表]
・唐寅と花の詩
人文科学研究科二年 大久保裕一朗
・台湾作家司馬桑敦と日本藤田 梨那
[特別講演]
・書跡から見る中国の形と心
大東文化大学教授 河内 利治
○作詩交流セミナー(九月三日~九月十一日)
・第二回台湾中山大学・国士舘大学作詩交流セミナー
於台湾中山大学・台南芸術大学他
作詩指導 簡錦松(台湾中山大学)、鷲野正明
○刊行物
『国士舘大学漢学紀要』第七号(二〇〇五年三月)
(鷲野正明 記)

◎日本漢文小説研究会

○月例研究会 於湯島聖堂斯文会館
四月二十九日
・『日本漢文小説の世界』講評
六月十九日
・華東師範大学における日本書籍の保存状況について
川辺 雄大
・『上海繁昌記』について川辺 雄大
九月十八日
・『上海繁昌記』について川辺 雄大
・史と小説―中国と日本における志人小説
内山 知也
十一月二十日
・菊池三九郎『談〓』について佐藤 浩一
○刊行物
『日本漢文小説の世界―紹介と研究―』(二〇〇五年三月、白帝社)(鷲野正明 記)

◎早稲田大学中国文学会

第三十回大会
○春季大会(六月二十九日)
・白蛇故事形成における売薬風俗の影響について
岩田 和子
・九世紀における知識人交遊と唐代小説―高彦休『唐闕史』とその周辺の人間関係を中心に―
伴  俊典
・中国語の声調習得に関する考察松本 洋子
・「応試」をめぐる風景高屋 亜希
○秋季大会(十一月三十日)
・『三宝太監西洋記』における金角・銀角・鹿皮大仙について長  伸行
・衛慧作品における人物の形象について―フロイト的女性像からの脱却?―山上 英司
・“VO在L”の内部構造―『金瓶梅詞話』の用例を中心に―荒木 典子
・宋代士大夫の詩歌観―理念と実態―内山 精也
○刊行物
『中国文学研究』第三十一期(十二月)
(平成十六年補遺)
第二十九回大会
○春季大会(六月十九日)
・朝鮮資料と中国近世音鋤田 智彦
・『近代侠義英雄伝』と『国技大観』池田 智恵
・『墨子』に見える「詩」について荻野 友範
・内面と語り千野 拓政
○秋季大会(十一月二十七日)
・穆時英小説における現代性と伝統性相馬佐地子
・『北宋志伝』及び『楊家府演義』の構造
松浦 智子
・四川方言における“得”熊   進
・范仲淹と北宋の古文運動王  瑞来
○刊行物
『中国文学研究』第三十期(十二月)
(川浩二 記)

 

◎日本アルタイ語会議

○第二回日本アルタイ語会議(大東文化大学語学教育研究所と共催)十一月十六日
会場:大東文化大学(板橋校舎)二号館二二〇会議室
[挨拶]
寺村 政男
[講演]
・「ウラル・アルタイ」について―講演に先立って
早田 輝洋
・ウラル語の特徴について小泉  保
・黄行教授の紹介及び通訳中嶋 幹起
・中国北方少数民族とその言語
中国社会科学院民族学及人類学研究所 黄   行
○刊行物
『アルタイ語研究(Altaistic Studies)〓』
(中嶋幹起 記)

◎無窮会東洋文化研究所

○常設講座
・儀礼正義会読(毎月第二・四日曜日)
栗原 圭介
・金石文研究(毎月第二日曜日)進藤 英幸
・日知録講義(毎月第三日曜日)浜  久雄
○教養講座
・中国詩文講義(毎月第一日曜日)遠藤 光正
・漢詩漢作文(毎月第一日曜日)遠藤 光正
・史伝講義(毎月第二日曜日)河村 通広
・日本漢詩講義(毎月第四日曜日)村田栄三郎
・幕末文人講義(毎月第二土曜日)坂口 筑母
・源氏物語講義(毎月第四土曜日)黒須 重彦
○研究会
・宋史(食貨史)研究会
・文人研究会
○発表大会
第五一回東洋文化談話会発表大会
平成十七年十一月十三日(日)
於無窮会東洋文化研究所講堂
〔研究発表〕
・張浚の評価について沢田久理子
・郭沫若の詩経について横打 理奈
・王国維訳『日本地理誌』について馬場 将三
・大政翼賛会興亜局編纂の「暦法調査資料」について
小林 春樹
・幕臣河路聖謨における漢学の素養竹村 英二
・真鶴神話考藤森  馨
〔講演〕
・古暦の閏月と古記録大谷 光男
○研究例会
第四十六回研究例会
平成十七年一月二十三日(日)
於無窮会東洋文化研究所講堂
・『古事記』序文の「化熊出爪」について
福井 卓造
・中国における仏郎機の使用岡田  登
・学術雑誌目次表題の分析―無窮会『東洋文化』データベース実装と専門用語抽出―谷本 玲大
第四十七回研究例会
平成十七年五月十五日(日)
於無窮会東洋文化研究所講堂
・神習文庫所蔵有職故実書類の特質―『宮廷文化研究―有職故実研究資料叢書』編集を通して
宮崎 和広
・一九世紀入華宣教師による二種の中国語布教書―神をめぐって―中村  聡
第四十八回研究例会
平成十七年九月十一日(日)
於無窮会東洋文化研究所講堂
・『滬游雑記』と『上海繁盛記』について
川辺 雄大
・津和野神社の亀趺碑〔無霊社之碑〕をめぐって
石田  肇
○刊行物
『東洋文化』復刊第九四号〔無窮会創設九十周年記念論集〕(平成十七年四月二十日)
『東洋文化』復刊第九五号(平成十七年十月二十日)
(中村聡 記)

◎六朝学術学会

○例会
第十二回研究例会(三月二十五日、於青山学院大学)
・南朝における文学と政治―劉宋孝武帝期を中心に―
中央大学大学院 山崎 益裕
・祠廟空間と文芸 序説
京都大学人文研 佐野 誠子
・鮑照詩の奇想性―その詩語の面からの検討を通して
筑波大学 向嶋 成美
第十三回研究例会(七月二十三日、於青山学院大学)
・〓康の歴史的位置大東文化大学 渡辺 義浩
・古詩十九首―詩言志の伝統と歌謡の融合―
二松学舎大学 牧角 悦子
・『宋書』楽志とその周辺神戸大学 釜谷 武志
○大会
第九回大会(十一月十三日、於斯文会館)
[研究発表]
・『文選』李善注所引「漢書音義」考
大東文化大学大学院 洲脇 武志
・盧思道における文と史
北海学園大学 樋口 泰裕
・王船山「擬阮歩兵詠懐」詩について
兵庫教育大学 鈴木 敏雄
・天尊像・元始天尊像の成立と霊宝経
名古屋大学 神塚 淑子
[記念講演]
・唐人から見た六朝二松学舎理事長 佐藤  保
○刊行物
『六朝学術学会報』第六集(二〇〇五年三月末日)
(平井徹 記)

◎宋詞研究会

○研究会
第三回宋詞研究会 五月二十八日(土)
於慶応義塾大学・三田キャンパス
[研究発表]
・中国における日本詞研究萩原 正樹
・蘇軾と蘇轍の詩詞について保苅 佳昭
(萩原正樹 記)

◎名古屋大学中国哲学研究室

○研究発表会
第三十一回研究会 一月十二日
・伯瑜孝子説話の展開とその思想的背景
梁   音
・『韓非子』の「忠」について小崎 智則
第三十二回研究会 四月二十八日
・老子における無と人格の変容について
寺西 光輝
第三十三回研究会 五月二十六日
・「乾嘉考証学」学者の中晩年の生計と学問
翁  玉強
第三十四回研究会 九月十七日
『名古屋大学中国哲学論集』第四号合評会(一)
・沢田多喜男著「老子―人物と書籍」田中 千寿
・寺西光輝著「無の心身論」進藤 浩司
第三十五回研究会 十月二十五日
卒業論文・修士論文中間発表
・善導の浄土教教化の二方向性近藤 法雄
・性善説の検討潮崎 直美
・東山法門・北宗系統禅に見られる実践修行(方便)について丸毛 俊宏
第三十六回研究会 十二月二十日
『名古屋大学中国哲学論集』第四号合評会(二)
・佐野公治著「禅におけることばの活用」
丸毛 俊宏
○研究交流会
第六回大阪大学・名古屋大学中国学研究交流会
十一月二十六日(於名古屋大学)
・上博楚簡『魯邦大旱』における子貢の「天」観
大阪大学大学院 草野 友子
・『韓非子』の「勢」―難勢篇をめぐって―
名古屋大学大学院 小崎 智則
・『〓書』明独篇における章炳麟の〈独〉と〈群〉
名古屋大学大学院 野村 友平
○講演会(儒教文化研究教育振興会と共催)
九月十七日
・尾張藩近世前期の闇斎学
名古屋外国語大学教授 鵜飼 尚代
○刊行物
『名古屋大学中国哲学論集』第四号(三月)
(神塚淑子 記)

◎東海中国語・中国語教育研究会

(日本中国語学会東海支部との共催)
第二十二回 五月十四日 於名古屋大学
・供誰使用的辞典?―対双語辞典的宏観思考之一―
顧  明耀
・対岐義現象的認知思考李  嘉馨
・中国語の数量詞表現に関する考察林  佩芬
第二十三回 十月八日 於愛知大学
・連体修飾語句における照応表現勝川 裕子
・漢語課堂常見問題試析(一)趙   晴
・“也”の婉曲表現について富永 清美
・中国語のCAIについて吉川  剛
(時衛国 記)

◎京都大学中国文学会

○中国文学会第二十回例会
七月三十日(土)京大会館
・高麗朝における中国文学受容―「学杜」と「学蘇」をめぐって鄭  〓謨
・飛燕外伝の成立時期と作者について三枝 茂人
・明嘉靖年間の黄善夫刊本史記模刻本について
今鷹  真
○刊行物
『中国文学報』第六十九冊(四月)
『中国文学報』第七十冊(十月)
(成田健太郎 記)

◎中国芸文研究会

○合評会及び研究会
三月六日(日)合評会・研究会
(立命館大学文学部中国文学専攻共同研究室)
・『学林』第四〇号合評
・厳遵撰『老子指帰』の真偽について村田  進
・諸子としての『史記』嘉瀬 達男
・論著紹介 傅正谷『中国夢文学史』今場 正美
六月五日(日)合評会・研究会
(立命館大学文学部中国文学専攻共同研究室)
・『学林』第四一号合評
・六朝志怪小説に見る怪異について高石 和典
・蘇軾と出版文化堀尾由貴代
・郭象『荘子註』の典故について(逍遥遊から人間世篇まで)堀口 育子
・静嘉堂文庫所蔵古鈔無注本『文選』巻十残巻の紹介
芳村 弘道
八月七日(日)研究会
(立命館大学文学部中国文学専攻共同研究室)
・卜辞に見える高妣某の再検討阪谷 昭弘
・白話小説中の「詩」「詞」より見られる文学的特徴―胡曾の詠史詩を手掛かりとして―岡本 淳子
・汪廷訥『獅吼記』について平塚 順良
・『故事新編』誕生に関する一考察―魯迅と芥川龍之介―奥井 美絵
十二月十八日(日)合評会
・『学林』第四二号合評
○刊行物
『学林』四一号(三月)
『学林』四二号(一一月)
今場正美・尾崎裕『「太平広記」夢部訳注稿』(四月 中国芸文研究会)
(村田進 記)

◎大谷大学中国文学会

大谷大学文芸学会公開講演会 七月五日
於大谷大学メディアホール
・李白について私が知っている二、三の事柄
大谷大学教授 乾  源俊
中国文学会卒業論文中間発表会 十月二十五日
於大谷大学講堂棟五階談話室
・巴金の『家』について―『家』の中の家族─
勝見 郁世
・「寒夜」から見る嫁姑関係について仲井 知亨
・老舎が思い描いたこと~文革・死を通して~
的場 淳子
・中国古代擦弦楽器考岸井麻衣子
・「天衣無縫」と七夕との関係余田 翔伍
・老荘思想と仏教との関係鵜飼 光暁
・中国古典小説における鸚鵡について岡田有紀子
・王維の〓川集について小川 晴歳
・李白と杜甫の交遊と詩作における影響について
春日 優子
・紫姑神について中森 香奈
・「山〓」について林  誠二
・財神・関羽について村田 直美
中国文学会学術公開講演会 十二月八日
於大谷大学メディアホール
・「老」を生きる白居易
立命館大学教授 芳村 弘道
○刊行物
『文芸論叢』第六十四号(三月)
『文芸論叢』第六十五号(九月)
(『文芸論叢』は財団法人橋本循記念会より第十五回蘆北賞を受賞)
(稲垣淳央 記)

◎東山之会

○研究発表 於京都女子大学
二月二十六日
・「形似」の変容―いわゆる宋詩の日常性をめぐって―浅見 洋二
三月二十六日
・『初学記』編纂と『貞観政要』加藤  聡
五月七日
・唐人選唐詩における詩人評価福井  敏
六月十八日
・高仲武与皎然詩論的比較査  屏球
七月二十三日
・李白について私が知っている二、三の事柄
乾  源俊
九月十七日
・韓孟聯句について斎藤  茂
十月二十九日
・中晩唐に於ける文人師承の事象について
愛甲 弘志
十二月十日
・受験の詩学永田 知之
○『杼山集』訳註
・巻一「杼山禅居寄贈東渓呉処士」至「答鄭方回」
(愛甲弘志 記)

◎広島大学中国思想文化学教室

第百六十八回研究会(卒業論文・修士論文中間発表)
十一月十一日
・王符『潜夫論』研究藤垣 信宏
・葛洪のめざした仙人万徳 和範
・孟子にとって孔子とは西田 雄生
・中国歴史教科書白崎 里実
・程伊川における「理」の構造袁  雪蓮
・史記と左伝における一考察今井 敏正
・『管子』における商と賈平岩 秀幸
第百六十九回研究会(卒業論文・修士論文発表)
二月十三日
・抱朴子における仙人像万徳 和範
・孟子研究西田 雄生
・王符『潜夫論』研究藤垣 信宏
・中国歴史教科書に見る愛国教育白崎 里実
・左伝成立考―史記を通して     今井 敏正
・『管子』の経済論平岩 秀幸
・程伊川における「理」の構造袁  雪蓮
第百七十回研究会(博士論文発表)
二月二十二日
・『賈誼新書』の研究工藤 卓司
(野間文史 記)

◎中国中世文学会

○研究大会
平成十七年度研究大会 十月二十二日
於広島大学文学部
・鮑照「日落望江贈荀丞」小考―鮑照詩の時間と空間―佐藤 大志
・杜甫の詩における「生理」市原 里美
・良史の不在―中唐期の史官論ブームとその背景―
畑村  学
・人虎伝をめぐって―その構造を中心に―
高西 成介
・『太平広記』明野竹斎鈔本について―巻三「漢武帝」を中心に―屋敷 信晴
・袁枚と杭州詩会市瀬 信子
・角倉素庵と『白氏文集』神鷹 徳治
○例会
五月二十六日
・「欲知」「欲識」について末葭 敏久
六月三十日
・蘇軾詩に見られる「三国志物語」について
角谷  聡
七月二十八日
・旧鈔無注本『文選』に見られる「臣君」について
富永 一登
・「欲知」「欲識」について ―唐以前の詩を中心に
末葭 敏久
十月十三日(大会発表補足資料作成〓)
・屋敷信晴「『太平広記』明野竹斎鈔本について―巻三「漢武帝」を中心に―」山田 和大
・佐藤大志「鮑照「日落望江贈荀丞」小考―鮑照詩の時間と空間―」平尾 智美
・市原里美「杜甫の詩における「生理」」
武田久美子
・畑村学「良史の不在―中唐期の史官論ブームとその背景―」江本 澄子
・高西成介「人虎伝をめぐって―その構造を中心に―」
仲村 郷子
十月十八日(大会発表補足資料作成〓)
・佐藤大志「鮑照「日落望江贈荀丞」小考―鮑照詩の時間と空間―」平尾 智美
・市原里美「杜甫の詩における「生理」」
武田久美子
・畑村学「良史の不在―中唐期の史官論ブームとその背景―」江本 澄子
・高西成介「人虎伝をめぐって―その構造を中心に―」仲村 郷子
・屋敷信晴「『太平広記』明野竹斎鈔本について―巻三「漢武帝」を中心に―」山田 和大
・市瀬信子「袁枚と杭州詩会」章   剣
・神鷹徳治「角倉素庵と『白氏文集』」末葭 敏久
十一月十七日
・鮑照「詠白雪詩」について佐藤 大志
・唐以前の詩語「欲知」「欲識」について
末葭 敏久
十二月八日
・「三国志物語」の形成―諸葛亮の南征を中心に―
角谷  聡
○刊行物
『中国中世文学研究』第四十七号(平成十七年三月)
『中国中世文学研究』第四十八号(平成十七年八月)
(末葭敏久 記)

◎広島大学中国文学研究室

○中国文学研究室研究会
第一一九回 一月二十八日
(修士論文最終発表会)
・菊池三渓『本朝虞初新誌』研究彭   鵬
第一二〇回 二月十八日
(卒業論文最終発表会)
・『三国演義』に見られる女性像―平話から演義へ―
村田 可愛
・『楊家将』比較研究中溝  昇
第一二一回 五月三十日
・中日言語対照研究―オノマトペを中心に―
趙  〓然
・『懐風藻』について楊   綺
・『東瀛詩選』研究―広瀬旭荘の詩を中心に―
郭   穎
第一二二回 六月二十七日
(修士論文中間発表会〓)
・建安文学研究―王粲を中心として―平尾 智美
・阮籍「〓猴賦」について江本 澄子
・謝霊運研究―東晋詩との比較―那須 智子
・冤魂説話の研究仲村 郷子
・李白詩研究―神仙を詠んだ詩について―
武田久美子
・韋応物詩研究―「幽」について―山田 和大
・中国故事の日本での受容―梁鴻の妻孟光について―
章   剣
・漱石漢詩の詩語―女性を表す言葉について―
羽原久美子
第一二三回 七月二十九日
(卒業論文中間発表会〓)
・六朝説話に見える「神」について江口 恵子
・李白詩研究下道 美佳
・『聊斎志異』における幽霊の役割山本 友見
・『人到中年』と文化大革命阿利 有紀
・池莉小説研究荒川いづみ
第一二四回 十月二十八日
(修士論文中間発表会〓)
・建安文学研究―王粲を中心として―平尾 智美
・阮籍「東平賦」について江本 澄子
・謝霊運研究―東晋詩との比較―那須 智子
・六朝冤魂小説の研究仲村 郷子
・李白詩研究―時間意識について―武田久美子
・韋応物詩研究―吏隠意識について―山田 和大
・『蒙求』故事の研究―中国における流布と日本における受容―章   剣
第一二五回 十一月二十五日
(卒業論文中間発表会〓)
・六朝説話に見える「神」について江口 恵子
・李白詩研究下道 美佳
・『聊斎志異』研究―幽霊譚から孤憤を考える―
山本 友見
・『人到中年』と文化大革命阿利 有紀
・池莉小説研究―池莉の恋愛観を中心として―
荒川いづみ
第一二六回 十二月十六日
・オノマトペの中日比較研究―川端康成小説のコーパスから―趙  〓然
・中日両国人の自然観と美意識―中日漢詩の植物描写を通して―梁   〓
○刊行物
『中国学研究論集』第十五号(四月)
(末葭敏久 記)

◎山口中国学会

○二〇〇五年度例会
六月十一日(土)午後一時半~午後三時
於山口大学人文学部第五講義室
・山県周南の教育論における荻生徂徠の影響について
牛見 真博
○二〇〇五年度大会
十二月十七日(土)午後一時半~午後六時
於山口大学人文学部第五講義室
[講演]
・談李白詩酒人生長江大学文学院 孟  修祥
[発表]
・敦煌懸泉置漢簡に見る『伝車』について
野村 治宣
・漢川善書の二つの特徴―教訓性と娯楽性
林  宇萍
・明・〓敬『読書通』所載の「五声譜」について
富平 美波
(根ヶ山徹 記)

◎香川中国学会

○第六十五回研究発表会
平成十七年 二月五日
・日本統治下の台湾における宗教川ノ上智枝子
・台湾における離婚率の上昇平田 文美
・神農考神原  真
・泰山考楠本 洋子
・後漢における獲麟解釈について土屋 陽一
(間嶋潤一 記)

◎九州中国学会

平成十七年度(第五十三回)九州中国学会大会
五月十四、十五日 於北九州市立大学
五月十四日
文学思想部会
・春秋戦国期における「周辺」から見た「中原」―楚国を事例として―中村  貴
・王子喬演変考土屋  聡
・注釈方法としての講義―安井小太郎の『論語講義』をめぐって―金  培懿
・南洋華人の語り部―黄東平の文学―山田 敬三
特別講演
・現代主義与中国新時期文学張  筱強
五月十五日
文学思想部会
・呂赫若の一九四五年以降の作品を中心に
馮  雅蓮
・日本、中国、朝鮮における天主教批判について
安部  力
・『呉友如画宝』「赤焔騰空」に描かれた怪光の正体は何か?―UFO説の検証と新たな仮説―
明木 茂夫
・宋代道学における工夫論の再検討藤井 倫明
・王逸『楚辞章句』にみる屈原イメージの祖型
田宮 昌子
・陸游評価の系譜―愛国詩人とナショナリズム―
高津  孝
語学部会
・中国語無標複文の成立條件について
正野 留加
・「大」と「小」の語用的機能篠原 征子
・宋末元初の呉方音系―声母体系を中心として―
平田 直子
・広西龍勝の瑶族が話す漢語方言の来源
佐藤  昭
○刊行物
『九州中国学会報』第四十三巻(二〇〇五年五月)
(中里見敬 記)

◎宋元文学研究会

開催日時:ほぼ毎月第三土曜日
場  所:早稲田大学文学部、もしくは共立女子大学国際文化学部
連 絡 先:宇野 直人

〒195―0061 町田市鶴川4―20―10
備  考: 平成二年、主として南宋の朱子の絶句をすべて解読するために結成され、その成果は単行本の訳注シリーズ『朱子絶句全訳注』(汲古書院)として順次公刊している。全11冊のうち既刊3冊。
平成16年度より日本学術振興会の科学研究費(基盤研究C)の交付も受け、堅調に活動中。現在の会員数は7名(中央大、日本大、早稲田大、共立女子大の教員・大学院生からなる)。
将来は会の名称にふさわしく、詩文のみならず詞・曲や口承文芸にも対象を広げてゆきたいので、ひろく有志の御参加をお願いしたい。

◎中国近現代文化研究会

開催日時・場所:隔月に例会を大妻女子大学千代田キャンパス・松村研究室で開催
刊行物:『中国近現代文化研究』(年刊、既刊8号)を発行
連絡先:大妻女子大学文学部コミュニケーション文化学科・松村茂樹

 

◎日本アルタイ語会議
Altaistic Conference of Japan

 日本アルタイ語会議は、第1回の会議が開催された2004年11月27日に発足した。
連絡先は
中嶋幹起(代表)宛
〒175―8571 東京都板橋区高島平1―9―1
大東文化大学外国語学部中国語学科
電話 03―3935―1113 (内線)3718