日本中國學會

The Sinological Society of Japan

『日本中国学会便り』2007年第2号

2007年(平成19年)12月20日発行

彙報
中国、山東大学での集中講義雑感
理事長 池田 知久
「儒蔵」日本編纂委員会とその事業
東方学会理事長 戸川 芳郎
21世紀型日本中国学会への豹変を期待して
東京学芸大学 佐藤 正光
中国語学研究『開篇』
早稲田大学 古屋 昭弘
各種委員会報告
[大会委員会]竹村 則行


[論文審査委員会]土田 健次郎


[出版委員会] 川合 康三


[研究推進・国際交流委員会]藤井 省三


[選挙管理委員会]神塚 淑子


[将来計画特別委員会]堀池 信夫


[ホームページ特別委員会]渡邉 義浩



平成19年度学会員動向
平成19年度新入会員一覧
名簿の訂正と委員の追加
学会展望へご協力のお願い
「国内学会消息」についてのお知らせ


中国、山東大学での集中講義雑感

理事長 池田 知久

今年8月24日~9月18日の26日間、中国に赴いた。私の近年の海外出張としては、比較的長期にわたるものとなった。
日本中国学会の大会が10月6日・7日の両日名古屋大学で開かれ、その前日の5日には理事会・評議員会が開かれるので、学会のみなさんにご迷惑をおかけするのではないかと恐れつつ、緊急事態が発生した場合の連絡方法を講じた上で出かけさせていただいた。以前から決まっていた計画で、キャンセルすることはできなかったのである。
8月24日~30日は、蘭州の甘粛省文物考古研究所訪問と敦煌見学である。色々と収穫は多かったが、ここでは省略する。9月15日~18日は、山東大学で開かれた3大学(日本の大東文化大学、中国の山東大学、韓国の成均館大学校)共催のシンポジウム「面向世界的東方思想」に参加、部会の司会と論文発表を行ったが、これも省略。

その中間の8月31日~9月14日の間、山東大学文史哲研究院(大学院)で集中講義を行った。
タイトルは「中国哲学史研究的方法論――当代日本之探求――」。1回につき3時間の講義を、ほぼ1日おきに合計8回、講義した。使用言語については、私が日本語で話し、日本、東京大学で博士号を取った曹峰教授が中国語に通訳してくれたが、誤訳箇所や難解な部分は私が中国語で補足・修正した。出席者は、第1回が約20名、第2回が約30名、第3回~第7回が数名、第8回が50名以上、という具合で一定していない。夏休みの終わった9月1日からは通常の授業が一斉に始まっており、学生たちはそちらの授業を睨みながら、私の集中講義にも顔を出していた。その上、講義の対象は、大学院生であるが、学部学生も聴講に来ており、中には日本語学科の学生も交じっていて、どのあたりに焦点を合わせて話せばよいのか戸惑う、何ともやりにくい講義であった。ただ、数名の博士課程の大学院生が最初から最後まで休まず出てくれたので、それがこちらの励みになった。他に、日本から山東大学に留学に来ていた大学院生と学部学生各1名も、大体のところ出席していた。また、文史哲研究院の傅永軍院長・李生平副院長・鄭傑文教授などの何名かの教授が、それぞれ1、2回ずつ臨席されてはなはだ恐縮したが、後に聞いたところでは出席している学生たちを激励するためであったという。
さて、この集中講義は、山東大学側の、中国哲学史研究の方法論を講義してほしいという要求に、応じたものである。(始めは「中国思想史……」としていたが、中国人学生に親しみやすくするという理由で、「中国哲学史……」となった。)しかし、中国思想史の方法論というものを、一般的抽象的な理論として話すのは私には荷が重すぎるし、またさして興味も引かなければ、有意義とも思われなかった。そこで、私にもできることで、興味もあり有意義とも思われる内容に変えてもらったが、これには山東大学側も格別異存はなかった。――明治より21世紀に至る近代・現代日本の中国思想・中国思想史の研究の中で、実際に生きて用いられた各種の研究方法を取り上げて、それらを一つ一つ批判的に解明しながら、自分にとってのあるべき方法を模索してみる、というように変えた。すなわち、自らの中国思想・中国思想史研究の方法論の模索という観点から、近現代日本の中国思想・中国思想史の研究史・学説史を批判的に総括してみる、ということにしたわけである。
準備した講義の要綱は、400字詰め原稿用紙で124枚分。その全てを第2回までに配布し、第8回の最終回でほぼ全体を話し終えることができた。内容は、中国人学生が聴いて自らの方法論を検討していく上で参考にしてもらうことを考えて、なるべく明治以来の日本の研究史だけでなく、辛亥革命以降の中国の研究史にも多く触れたけれども、しかしその批判的解明には学生の間に心理的抵抗があったようである。(その背景には、近年中国で強まっているナショナリズム・パトリオティズムがあると思われる。)そして、第3回からは、毎回講義の合間に20分~30分の時間を取って、2、3名の学生に質問を出してもらいそれに答えて詳しく説明するというやり方で進めた。これによって、現代中国の学生(特に博士課程の大学院生)の理解や反応について多くのことを知りえた。

山東大学の大学院生の理解力・思考力などの学問的能力を客観的に測ることなどは、この程度の体験では到底覚束ないけれども、中国の重点大学の一つであるから、やはり優秀な大学であり大学院生なのではなかろうか。特に、最後まで残った数名の博士大学院生の能力は瞠目に価するものがあった。
と言うのは、私が講義で重点的に取り上げた方法論の問題の一つに、いわゆる「疑古」「信古」の問題がある。周知のとおり、現代中国では新出土資料の大量の発見・公表に伴って、李学勤の『走出疑古』などといった書が世に現れ、かつて顧頡剛らが『古史弁』に拠って唱えた「疑古」を批判して、古典文献の記載をそのまま事実であると信ずる「信古」が盛行している。その結果、堅実な文献批判には「疑古」のレッテルが貼られて、まともな文献批判がほとんど影を潜めてしまったのである。横目で世界の仏教研究やキリスト教研究の文献批判が、依然として高い学問的厳密さを保持しつつ進められているのを瞥見すると、我が中国古典研究にはいささか心許なさを感じざるをえない。
私の考えでは、そもそも学問というものは、自然科学であれ人文・社会科学であれ、自らの使用する研究資料の性格を批判的に検討すること(textual criticismとhigher criticism)抜きに、成立することはありえない。この資料の批判的検討は、別に「疑う」とか「信ずる」とかいった問題ではなく、学問であろうとする限り、どんな研究者でも真っ先に行わなければならないイロハ中のイロハである。したがって、それを行おうとしない「信古」は論外であるけれども、「疑古」にもその言葉や理論に私としては満足できないものがある。
こういう視角から、近現代日本におけるいわゆる「疑古」の系譜を、実は「疑古」ではなかったし当時から「疑古」と呼ぶこともなかった、正しくは文献批判であると言って紹介した。中国では、近代日本の「疑古」として久米邦武・白鳥庫吉・津田左右吉などがよく知られているが、いわゆる「疑古」(=文献批判)は江戸時代からすでに始まっており、明治以降もまともな研究者は誰でもいわゆる「疑古」(=文献批判)である事実を、何度も詳しく説明したわけである。
上記の博士大学院生は、これをよく理解してくれた。山東大学には『文史哲』という有名な学術雑誌があり、国内外に相当の影響力を持っている。現在の編集長は、文史哲研究院の王学典教授。同編集長の編集方針の下に、『文史哲』は2005年ごろから、李学勤とその『走出疑古』や「信古」に対する学問的な批判、顧頡剛らの「疑古」と『古史弁』の研究成果の継承のための、論文・記事を継続的に掲載している。中国国内に関する限り、その反響はかなり大きいようである。博士大学院生の理解の背景には、実は以上のような背景があったのである。
大分以前から、文革収束後の中国の中国思想史研究の水準が上昇しつつあり、やがて日本の研究を凌駕するであろうと囁かれてきた。私のような外国人を講師に招聘して、集中講義を行わせるという開放ぶりを直接体験して、本当にそうかもしれないと肌で実感したことであった。


「儒蔵」日本編纂委員会とその事業

東方学会理事長 戸川 芳郎

一昨2005年秋、中国・北京大学「儒蔵」編纂中心(代表:湯一介教授)より、東方学会の私(戸川芳郎)あて、日本におけるその編纂事業の協力について申入れがあり、それを受けて「儒蔵」日本編纂委員会を組むこととしました。
「儒蔵」編纂については、別添新聞記事(「日本経済新聞」06・7・29―省略)のように、以下の企画・規模の事業です。

一、「儒蔵」編纂事業とは
・「儒蔵」編纂は、2005年12月に中国・教育部の許可を得て始まった、国家的プロジェクトである。
二、編纂対象・編纂計画
・第一次:「儒蔵」精華編(1.5億字、2005~2010刊行)
先秦~清末の代表的儒学典籍460部。および韓国・日本・ヴェトナムの漢文体で撰述された重要な儒学典籍50(~100)部。
・第二次:「儒蔵」大全編(15億字、2010~2010刊行)
先秦~清末の代表的儒学典籍約5000部
三、体例について
・繁体字、縦組み、校点・校勘・標点・分段を施す。校点・校勘・標点・分段の具体的な「凡例」については資料参照。
四、統括者・事務局
・プロジェクトの統括者は、北京大学・湯一介教授であり、統括事務局は北京大学「儒蔵」編纂中心に置かれている。
「儒蔵」編纂中心:
事務局秘書:楊韶蓉
五、参画している機関、編集委員・顧問
・現在、中国国内では24大学・2研究機関が参画。機関ごとに分担する分野を持ち、一機関に1~3名の委員を置いていて、各機関と協議書を取り交わしている。
・編集委員84名(北京大学18名、国内大学52名、台湾4名、国外10名―日本:稲畑耕一郎・興膳宏・橋本秀美)。100人程度まで増員する予定。
・顧問11人(日本:戸川芳郎、韓国:柳承国、仏:汪徳邁ほか)。
六、経費について
・「儒蔵」編纂の経費は、中国教育部・国家社会科学院基金・北京大学・寄付金によって賄っている。

日本側の作業に関しては、文献・底本の選定と校点・校勘・標点・分段等の原稿作成にかかわる作業は、日本側がこれを負担する。組版・印刷・製本等の編集作業は、北京大学「儒蔵」編纂中心がこれを負担する。
湯一介教授(北京大学哲学系)の申入れを受けた私は、現在その顧問に当たっている二松学舎大学“日本漢文学研究の世界的拠点の構築”21世紀 COEプログラムの、その事業当局(拠点リーダー高山節也教授)に謀り、その「儒学典籍」の選定を試みました。
大島晃・長尾直茂・町泉寿郎(当COE事業推進担当者・同協力者)ら諸氏とともに、安井小太郎『日本儒学史』・倉石武四郎『本邦における支那学の発達』を参考にして、その該当する著者と著述を選び出し、編成を遂げました(A・B・C・D・Eの五表)。結果は、著者では藤原惺窩(1561―)~竹添井井(1842―)、著述では経部を中心に四部に亙りましたが、同時にその校訂・解題に当たる担当の候補までも書き添えました(C表)。
湯一介教授からの要請には、2006年9月末までに、日本側の編纂委員・顧問の名簿と「選定書目」(30~40種)の提供がありました。そして、その「儒蔵」日本編纂委員会の原案を示して、昨年9月18日づけで該委員の就任をお願いし、現在まで、二回の編纂委員会を開催しました。その議事の概要をご紹介します。

第1回「儒蔵」日本編纂委員会
(06年10月8日(日)、日本中国学会大会〔大東文化大〕)
・精華編(40点)は、大全編(2020年完成予定)の計画を見据えて、研究者養成の可能な機関に依頼することとした。各書籍(D表)の分担者・協力者についての原案を、06年10月末まで提出のこと。
・底本および校勘資料選定―06年12月末まで。
・分担者の選任―07年1月末まで。
・稿本の作成方法―原稿作成作業(テキストの校点・校勘・標点・分段および解題)には、二松学舎COE事業として進行中の、日本漢文資料テキストDBのデータ入力テキストを活かし、二松COEが提供するテキストに修訂を加えるかたちで、原稿を作成する。
・事務局―財団法人東方学会事務局は、会議場所の提供・通信連絡についての援助を行う。資料複写等の編纂費用については、支出できない。

第2回「儒蔵」日本編纂委員会
(07年10月6日(土)、日本中国学会大会〔名古屋大〕)
・委員
〔顧問〕 石川忠久 興膳宏 戸川芳郎
〔日本編纂委員〕 池田秀三 池田知久 市來津由彦 稲畑耕一郎 家井眞 ◎大島晃 金文京
◎河野貴美子 小島毅 佐藤進 佐藤保 佐藤錬太郎 土田健次郎 ◎長尾直茂 ◎町泉寿郎
松川健二 湯浅邦弘
〔国外編纂委員〕 橋本秀美◎同実行委員
・執筆要項
1.底本及び校本の選定について
担当する典籍の底本については、テキストデータをデジタル化する際に使用した、その原資料からの複写本を提供することができる。基本的には、版本など通行本を対象とするが、それ以外のテキストを底本とする場合は、実行委員会と協議のこと。また校本については、選定の上、実行委員会に報告する。
2.原稿作成について
1)北京大学儒蔵編纂中心に提出する原稿には、原資料からの複写本に、校点・校勘・標点・分段にたいする指示を、赤字で直接記入する方法によって作成のこと。具体的な記入方法は、北京大学儒蔵編纂中心より提供の、別紙記入例を参照のこと。
2)出版の際には、本文の前に典籍とその撰者に関する「解題」を掲載する。その典籍の「解題」を執筆するには、日本語で可。中国文への翻訳は、北京大学儒蔵編纂中心で行う。
3)CD‐ROMは、校点作業時の検索用として、利用のこと。
3.原稿提出について
1)提出期限
原稿提出期限は、原則として以下のとおり。
第1期分 2008年9月末
第2期分 2009年3月末
ただし、個々のテキストの性格や分量により、相応の配慮を必要とするものについては、実行委員会に協議のこと。
2)提出先
作成原稿は、実行委員会にてとりまとめ、北京に提出する。その提出先は、「(財)東方学会 「儒蔵」日本編纂実行委員会」あて。
なお、編纂委では、当初より、日本における「儒学典籍」綜鑒とあるならば、ハングル混じりの朝鮮本も提出される以上、わが「魯論抄」のごとき抄物はもちろん、諺解ふうの鼇頭本も加えて然るべし、の意見が出ています。本事業の、「儒蔵」大全編への拡大するのを見通して、「準漢籍」・和文著述も対象として、リストに加えること、少なくとも「日本名家四書註釈全書」「日本倫理彙編」から「漢籍国字解」等の収書は加える。また日本に残る佚存書や「将来目録」は、世界遺産として、当然提供してよろしい。これらを編纂委・実行委の提案として、いま、本年12月1・2日(深圳)の「儒蔵」編纂委員会に提出することとしています。

※参考資料
第I期:精華編(2010年完成予定)選定書目
伊藤東涯『周易経翼通解』18巻10冊、安永3刊
太宰春台『詩書古伝』34巻15冊、宝暦8刊
岡 白駒『詩経毛伝補義』12巻、延享2刊
仁井田南陽『毛詩補伝』31巻16冊、天保5刊
新井白石『国書復号記事』1冊、写・活
竹添井井『左氏会箋』30巻、刊
山井崑崙『七経孟子攷文』33巻、刊
〈林秀一〉『孝経述義』
伊藤仁斎『大学定本』1巻、正徳4刊
荻生徂徠『大学解』1冊、宝暦3刊
伊藤仁斎『中庸発揮』1巻、正徳4刊
荻生徂徠『中庸解』2巻2冊、宝暦3刊
伊藤仁斎『論語古義』10巻4冊、正徳2刊
荻生徂徠『論語徴』10巻10冊、元文2刊
太宰春台『論語古訓』10巻5冊、元文4刊
『論語古訓外伝』20巻附1巻10冊、延享2刊
吉田篁墩『論語集解攷異』10巻4冊、寛政3刊
市野迷庵『正平本論語札記』1冊、文化刊
大田錦城『論語大疏』20巻、写
伊藤仁斎『孟子古義』7巻7冊、享保5刊
伊藤仁斎『語孟字義』2巻、元禄8刊
中井履軒『四書逢原(大学雑議・中庸逢原・論語逢原・孟子逢原)』写・活
佐藤一斎『四書欄外書(大学摘説・中庸欄外書・論語欄外書・孟子欄外書)』写・活
松崎慊堂『宋本爾雅校譌』1冊、写
山梨稲川『文緯』30巻、写
岡本況斎『説文解字疏』残本、写
伊藤東涯『古今学変』3巻3冊、寛延3刊
原念斎他『先哲叢談(正編・後編・続編・近世正続)』刊
蘆野東山『無刑録』18巻18冊、明治10刊
安積澹泊『大日本史賛藪』5巻、写・活
林 鵝峰『本朝通鑑』刊(本朝編年録、提要)
山崎闇斎『闢異』1冊、刊
貝原益軒『大疑録』2巻2冊、明和4刊
荻生徂徠『弁道』1冊、享保2刊・『弁名』2巻2冊、享保2刊
皆川淇園『名疇』6巻6冊、天明8刊
皆川淇園『問学挙要』1冊、安永3刊
三浦梅園『贅語』6帙14冊、天明6・文政12・天保2刊
藤原惺窩『文章達徳綱領』6巻 寛文13刊
林 羅山『羅山先生文集』75巻 寛文2刊(問対・序・題跋・雑著)
中江藤樹『藤樹先生遺稿』2巻、寛政7刊
林 鵝峰『鵝峰先生林学士文集』元禄2刊(西風涙露・序跋)


21世紀型日本中国学会への豹変を期待して

東京学芸大学 佐藤 正光

日本中国学会は、日本の中国研究者にとって何よりも精神的支柱と言うべき存在であり、日本中国学会なくしては中国研究の動態や水準を把握することや、海外の研究者に日本の研究状況を示すことが容易ではなくなる。実際、多くの若手研究者が、中国研究を志したときにまず入会を考える程にオーソライズ化した全国学会である。
期待が大きいだけに、多少の失望感があって、昨年の大会懇親会で役員の方に申し上げた話題がきっかけで投稿したのが本稿の動機である。なるべく意見に偏向のないよう、今秋に行われた大小の学会で若い方を中心に意見も聞いた上で、日頃から抱いていた考えを述べてみたい。なお、このような開かれた論議の場を与えてくださった学会役員、編集委員の皆様に感謝申し上げます。

『日本中国学会報』第59集(2007年)学界展望(哲学)「はじめに」で市來津由彦氏は、80年代以降の社会変化を3点に集約し、(1)国家的な施策による中国の研究水準の急速な高度化、(2)電子媒体を利用した研究方法の変化、(3)教育・研究界の競争的環境(対費用効果、研究評価)と指摘し、これに対する施策として「過去の遺産を継承し将来へ再編する整理」、「研究のヴィジョン」、「それ以前の水準に対しての、その得られた事実や知見の射程の深さ」を掲げている。池田知久会長も「中国研究をとりまく困難の中で」(「日本中国学会便り」2007年第1号。以下、学会便りからの引用は学会HPによる。)の中でホームページ等の「一段階グレードアップ」、「我々の中国研究の国際的競争力・影響力を強化する」ことを施策として掲げ、「日本中国学会の組織的活動」としての取り組みの必要性を表明されている。ここに示された現状の認識は正しく、学会の向かうべき方向性も示されているように考えられる。しかし、実際の学会活動に立ち返ったとき、池田会長自身が「困難から抜け出す行動をまだほとんど起こしていない」と認識されていることは事実であろう。
そこで、本稿ではこのような問題意識に対する幾つかの具体的施策を掲げた。その目的を端的に言えば、学会が会員にとってコーディネーター的役割を果たすことである。以下に現実的な観点を論点とし、若手研究者、中年層研究者にとって望ましい施策、学会周辺の広域層に対する施策を、市來氏の指摘を踏まえながら述べてみたい。

1.若手研究者に対する配慮
若手研究者に対する学会としてのこれまでの最も大きな貢献は、論文審査の精密さと学会賞の選定にある。興膳宏氏の「新体制の四年間」(「日本中国学会便り」2004年第2号)には論文審査向上のための苦心が記され、「日本中国学会便り」2006年第1号の学会報第58号に関する「五.余録」にも査読者の数や審査への努力が示されており、これは学会の一大事業と言ってよい程の内容と実績であろう。
ただ、若手研究者に最も必要なことは研究へのサポートである。研究機関に所属していない研究者は研究者番号を持っていないため科研費の獲得はできず、共同研究やプロジェクトへの参加は関連する大学や研究者同士の交流関係に限られている。だが一方では、第58回大会のオムニバス講演会で片岡龍氏が、科学の専門主義による「専門化の進展に伴う問題に対応する可能性の一つに、共同研究という方法がある」(「日本中国学会便り」2006年第2号)と指摘しているように、困難な問題はありつつも今後の「研究のヴイジョン」として共同研究は重要な研究方法であり、的確な人材の確保こそ共同研究の生命線なのである。学会という組織を使えばその人材バンクの役割を果たすことができる。自己の研究上の関心、意欲、アピール点などを登録しておくことで、申請者がコンタクトを取る可能性ができる。人材バンクという点では、すでに大学の教員募集に多くの学会ホームページが利用されている。
さらに、学会自体が科研費等の共同研究を構想し、実際上科研費申請の核となる会員に若手研究者を抜擢してもらうのである。こうした科研費や共同研究への能動的な取り組みが、若手研究者への大きな支援となるのではないか。
また現在、若手研究者は国際経験を豊かにするために自ら国際会議に参加しているが、現実には語学力や経験の不足で実効を上げていないのではないかと思われることも多い。日本中国学会が他国の学会との共同主催による国際学会を、若手育成の意図や企画を考慮しながら開催すれば、若手研究者の経験や知見を広めることができよう。

2.中年層研究者に対する配慮
学会では評議員の数を増やしたことにより、中年層からも役員が出るようになった。これによって今まで以上に、委員会活動等で前向きな取り組みが行われている。とりわけデータベース管理委員会が学会誌発表論文等の電子媒体化を推進していることは特筆に値する。しかし、『日本中国学会報』は中年層の場合、すでに二十年分位は自分で持っている上に大学図書館等に備えられている場合も多い。電子媒体化は便利ではあるが、それ以上に必要なのは学界展望のデータベース化である。大学に所属している研究者は科研費の申請を恒常化され、研究業績を評価される一方で、入試やオープンキャンパス、学生指導に忙殺されており、若手研究者がインターネットを駆使して集めるようには、自身の研究の関連論文を網羅することが難しい。学会が学界展望をデータベース化すればその都度検索ができ、国内資料についてはほぼ把握できる。また世界中の論文について検索できるリンクが構築できれば、市來氏の言われる「それ以前の水準に対しての、その得られた事実や知見の射程の深さ」を持つことが可能になるのではないか。
共同研究について、中年層の場合は人的交流により人材バンクの必要性は少ない。だが、大学や地域による人間関係の固定化は否めない。より革新的な共同研究に学会が能動的に関わるのであれば、やはり共同研究の構想を学会が打ち出し、それに参画する研究者達によって科研費を申請するプロセスを作り出すこともあってよいのではなかろうか。
大学教員でもある会員にとっては、後進を育成することも重要な役割である。学会としてはこれまで学生指導に対する支援は行ってきたであろうか。関清孝氏は「「R―25」のつぶやき―大学院生から―」(「日本中国学会便り」2004年第2号)の中で大学院生として率直な学会発表の感想を「当日は、ひたすら原稿を読み上げ、残りの時間はなんとかやり過ごそうとする」と記している。実際のところ全国大会の場で原稿を棒読みすることは、研究者としてのプレゼンテーション能力を向上させる努力を怠っていると言える。もちろんそれは指導教授の責任の範疇であるけれども、それを容認しているのは学会の問題であるとも言えないであろうか。しかし、関氏は次のような2点の重要な指摘もしている。一つは「資料の作成は有意義な議論がおこるように工夫することを心がけた」であり、もう一つは「“日本”中国学会であるのだから、われわれ院生が発表するのではなく、学者として脂ののりきった先生方の学術発表が中心になるべきではないか、それをもっと聞きたいとか、そのような方々が発表・討論してこそ、斯界のトップである学会のあるべき姿なのではないのか」と述べ、さらに「この先の中国学の進むべき方向性をしめすことができてこそ大会での発表なのではないか」という指摘である。前者は、ベテランの研究者に対して、発表意図を汲み取り、教育的意義をも有する質問を期待しているということであろう。そのためには、実質二、三人程度しか質問のできない今の発表体制では多角的な指摘もアドバイスもできず、その期待に応えられていないのではないか。また後者の指摘は、学会の教育的側面という意味で重い意味を持っている。研究者としては同等であっても、期待に応えるべき必要性は認めるべきであろう。役員は研究者としての業績を評価すればこそ選ばれているのであるから、評議員がまず積極的に発表することが捷径であろう。

3.学会周辺の広域層への配慮
これまでは学会内のことについて述べてきたが、学会としては斯学分野における社会的責務、使命を有している。つまり他分野の研究者、大学で教育を受ける学生、漢字漢文教育に関わる中高生、教養を求める社会人といった学会周辺の広域層に対する配慮である。最も貢献していると考えられるのは、学会員の研究成果の状況をほぼ網羅した「学界展望」であろう。近年、各部門の分類に「書誌」、「民間文学・習俗」、「日本漢文学」、「比較文学」、「教育・学習」等が加わり、関心を持つ層が拡大したであろうことは認めるべき点である。また「日本中国学会便り」は学会の動向、提案、呼びかけ等、学会内外に向けてアピールの役割を果たしている。
とはいえ、その内容は中国研究にのみ偏っていると言わざるを得ない。大会の際に、会員同士の雑談や情報交換で交わされる主要な話題は、研究だけでなく教育の問題も大きく、会員にとって関心のある事柄なのである。前引の池田会長「中国研究をとりまく困難の中で」冒頭でも述べられているとおり、学科の縮小、合格ラインの低下、興味の喪失は重要な問題である。そればかりでなく、講義、演習の水準や内容、広領域分野の授業への対応など、大学教育についての問題への関心は会員と学会間に温度差がある。こうした問題に対するシンポジウム、研究会等のアクションは学会として求められるべきことではなかろうか。
中高教科書に関わっている会員にとって、とくに訓読は重要な問題である。中国文学研究者の中には訓読不要とか、自由な訓読を唱える者もあるけれども、中高の教員は圧倒的に統一された訓読を求めており、この意識差は看過し得ない。学会がその方向性を誘導する必要まではないと考えるが、日本における訓読の意義や教育上の訓読の在り方等を考える機会は、学会として提供すべきではないかと考える。
さらに大きな責務と考えられるのは、オムニバス講演会における井上泰山氏の「中国と西欧諸国との文化交流の歴史を問い直すにあたって欠かせない作業は、西欧諸国に流出した漢籍の総量を把握することである」(「日本中国便り」2006年第2号)という提起である。膨大なデータを多方面で駆使できる有効な資料として蓄積できるようになった21世紀において、現在確認できる全ての資料をデータベースとして管理することは21世紀型の研究環境であると言えよう。井上氏は「学会としても、特別の漢籍調査プロジェクトチームを結成して、年次計画的に西欧に流出した漢籍所蔵調査に乗り出すくらいの意気込みがあっても好いのではないか」(同前)と提言している。
このような考えは、井上氏ばかりでなく二松学舎大学のCOEプログラムを紹介した佐藤保氏も言及している。佐藤氏は「日本漢学の基礎とも言うべき漢籍や国書などの漢字文献の整理とデータベースづくり」(「日本中国便り」2004年第2号)をプログラムの柱の一つとし、さらに「京都大学人文科学研究所や東京大学東洋文化研究所等で大規模に行われている漢籍(中国書)のデータベースづくりからは漏れている部分、すなわち日本人の漢文による著作物を対象にしている点で、正しく中国学と日本学の狭間に属する部分を埋めたい」とその特色を提示している。東大、京大の大型プロジェクトや二松のCOEもデータ集積の方法であり、学会がその責務を担う必要はないが、地元の漢籍所蔵機関や所蔵者と関連を持つ全国の学会員に調査をコーディネートするとか、それらの成果を集約することは決して不可能な事業ではないと考える。これが市來氏の言われる「過去の遺産を継承し将来へ再編する整理」に通ずるものではなかろうか。
最後に、一般社会に対する配慮について。これもオムニバス講演会で岩波書店の馬場公彦氏が出版業界における中国関係書の不振の理由を挙げた中で、学会に対して次のように述べている。「中国との学会交流や研究者の往来、大学間の単位交換・留学生交流などの提携はますます活発になっているが、学術界の国境を越えた活動や成果が学会内部のみで消費されていて、一般読者への関心に応えていない。いわば社会的貢献の不足。」(「日本中国学会便り」2006年第2号)馬場氏は講演で、この点を強く訴えたとも述べている。

以上のように、日本中国学会が提供した会報等に基づきながら現状に対する提起をしてきた。我々研究者は、学会だけに責任を負うわけではなく、所属する大学や科研費による研究、その他のプロジェクト等にも責任を負っている。従って、学会に全ての責任を感ずる必要もない代わりに、全ての責務を期待する必要もないのである。しかし、教育・研究・大学経営に忙殺される多くの学会員にとって、学会が能動的に我々の研究の場を用意し、研究の材料を与えてくれたら、本当にありがたいことである。それが理想的な学会の姿であるかどうかはわからないが、21世紀初頭における研究者の一人としては、求められるべき学会の在り方であると考える。


中国語学研究『開篇』

早稲田大学 古屋 昭弘

『開篇』は1985年12月に早稲田大学文学部中国語学研究班の名のもと始まった雑誌である。実は東京都立大学人文研究科の院生時代にガリ版刷りの同名の雑誌があった。1979年12月創刊。同人は「中文系水滸伝読書会」の池本和夫・金子真也・氷上正・水谷富次の諸氏と編集発行人の古屋である。誌名は蘇州の説唱芸能「弾詞」の前座的一曲を意味する術語に由来する。その背景には、編集発行人の、蘇州語ないし呉語への傾倒があった。第3号で終わってしまったその雑誌の名を、同人諸氏の許可を得て、早稲田でも引き継がせてもらうことにした。
その第1号から第5号までは、大学付近の印刷屋にコピー印刷と製本を依頼(第2号からは『開篇』編集部の名のもと出版)、第6号からは早稲田鶴巻町の好文出版(尾方敏裕社長)に刊行を委託、今に至っている。最初の頃は不定期刊で1年に2回出したり、出さない年があったりしたが、第18号からはほぼ年一回発行のペースとなっている。第4号から「中国語学研究」の6字を冠している。前座の段階が終わったら「開篇」の2字をはずして早稲田大学中国文学会の機関誌『中国文学研究』と並ぶ存在にしたいと思ってのことである。総目次については、第10号と第20号に附したほか、早大中文のホームページに載せてある(ただし現在工事中)。
著者原稿をそのままオフセット印刷するという方式を今でも採用しているため、レイアウトが不統一で恐縮ながら、最近号(第26号)まで通覧してみるとコンピュータ、ワープロの目覚しい進化をみることができる。たとえば創刊号では秋谷裕幸・木津祐子・笹原宏之の諸氏と古屋は手書き、山崎直樹氏のみ16ドットのワープロを使っている。その後ワープロを使う人が増え、今では厄介な音声記号や難字を手書きする必要もほぼなくなった。
第4号に中国の研究者として始めて石汝傑氏が投稿してくれたのを皮切りに中国やその他の国からの投稿も増え、今では毎号半数ほどを占めるに至っている。これとは反対に、『開篇』に載った文が『中国語文』に転載された例もある。内容的には中国語史と方言が中心となっている。以下、大雑把ながらその内容を分類しつつ回顧してみたい。
文字学では甲骨文字、春秋戦国文字、則天文字、小篆や隷書、俗字、字書では説文解字、龍龕手鑑、正字通などに関するものがある。
上古音関係では音素体系、声調、複声母、「合韻」「音転」、漢蔵比較や学説史などの問題が扱われ、中古音関係では、切韻、王仁昫切韻、広韻、集韻、礼部韻略、説文解字篆韻譜、経典釈文、玄応一切経音義、慧琳一切経音義、文鏡秘府論、悉曇蔵、爾雅音図などの資料が取り上げられた。個々のテーマとしては、刪山韻と黠鎋韻との対応関係、重紐、梵漢対音などがある。近世音関係では四声通解、賓主問答私擬、西儒耳目資、音韻正訛、重刊老乞大諺解、拍掌知音、蒲松齢日用俗字、満文金瓶梅、日清会話辞典などが研究対象となったほか、元代大都の雑劇の押韻に関するものもある。
文法関係では定州漢墓竹簡・論語、捜神記、世説新語、賢愚経、斉民要術、白居易詩、游仙窟景德伝灯録、元朝秘史、司牧安驥集、水滸伝、老乞大、西遊記、楊家府演義、金瓶梅、醒世姻縁伝、三言、三国志玉璽伝、岐路灯、聊斎俚曲集などが研究対象となり、古漢語の使動用法、助動詞「足」、「却」の副詞化、蒙漢対訳文献における「有」などが扱われたほか、「了+否定詞」、V得、V教(O)C、V令C、V著O、V倒、V有NP、V得有(NP)、V将Cなどの文法構造が分析された。個々の語句としては「孨、任人、臏脚、生魚片、木屐、席地而坐、朱門酒肉臭、泰山地獄、溝港、睡覚、〓〓麻食、饅頭、云何、開心、疆場、力巴兒、一磨兒、齁」などが分析されている。
現代語関係では二重名詞句構文、名詞の編入、受動態、類別詞、待遇表現、アスペクト、接尾辞「子」、「朝、向、往」(介詞)、「里、中、内」、「都」(副詞)などに関する文が収録されている。
そのほか、声調発生論、声調の音声的特徴、Metathesis、情報の剰余性、謝罪発話行為のコンテクスト制約のような理論的なものや、文學書官話、東本願寺の中国語教育、中国語教授法、中国語音声学など、教育史や教授法に関するものもある。
なんと言っても大きな比率を占めるのは、現代方言の音声・文法・語彙および方言史(古呉語の再構、閩祖語など)に関する文である。河北・遼寧・山東における声調、内蒙古の晋語、寧夏方言、呉語の連読変調、処衢方言と甌江方言、湘南土語、浙江〓語、粤北土語のようにある程度広い地域を扱ったもののほか、個々の地点としては、北方・西北では北京、宣化、襄垣、西安、霊武(回族)、霊宝、獲嘉、甘粛秦安五営、山東では嶧城、単県、博興、博山、平邑、栄成、安徽では黟県(宏村)、樅陽、桐城、江浙では泰州、贛楡県石橋郷、贛楡県青口、揚州、蘇州、上海、紹興、奉賢、義烏、長楽、平陽、海塩、蘭溪、楽清、台州、温州、瑞安、湖南では湘潭など、閩粤地方では厦門、潮州、広州、香港、粤北恵東、粤西懐集、広西三江六甲、広西三江桂柳、土拐語、客贛方言では江西の安福、万載、広西の陸川、香港の新界、湖南の平江などがある。
オーソドックスな学術雑誌に載りにくいもの、たとえば文献目録や索引、あるいは語料や同音字表を重視することも『開篇』の特徴のひとつである。いくつか挙げてみれば(以下敬称略)、目録関係では、吉池孝一「呉語文献目録稿」、佐藤喜之「モンゴル関係中国近世語研究論著目録稿」、遠藤光暁「中国語の言語習得と言語障害研究文献目録」、野間晃「閩語研究文献目録」、西田文信「声調関連文献目録稿(欧文編)」、張渭毅「1978年―2001年上半年近代漢語語音研究論著目録」、舩田善之「『元典章』読解のために」、語料や方言会話資料としては、石汝傑「揚州評話記音」、徐菊秀・陳為瑋ほか「南京方言資料―南京白話」、樋口勇夫「山西省太谷方言資料」、Richard VanNess Simmons「杭州曲芸資料」、秋谷裕幸「杭州方言資料会話篇」、大嶋広美「梅県客家語会話」、竹越美奈子訳“Cantonese Primer”、「訓世評話」の翻字転載など、同音字表では山東の掖県方言(銭曽怡・楊秋沢・太田斎)、同じく郯城方言(顔峰)、福建の連城方言(項夢氷)、福建の沙県蓋竹方言(鄧享璋)、陜西の神木方言(邢向東)などがある。波多野太郎「元曲疏証」や井上治・金度亨「蒙語老乞大(ローマ字転写と和訳)」のような連載物もある。
1989年からは単刊として専著や索引を出すことになった。そのほとんどが各著者の自費出版なのだが、著者の方々からの支援の一つの形として、ありがたく「開篇単刊」と銘打たせて頂いている。以下に列挙する:岩田礼『中国江蘇・安徽・上海両省一市境内親屬稱謂詞的地理分布』、石汝傑・陳榴競『山歌索引』、遠藤光暁『翻訳老乞大朴通事漢字注音索引』、鱒澤彰夫『燕京婦語』、銭乃栄『杭州方言志』、渡部洋『劉智遠諸宮調語彙索引』、曹志耘『嚴州方言研究』、石汝傑『呉語讀本』、平田昌司主編『徽州方言研究』、丁鋒『球雅集』、大西博子『蕭山方言研究』、曹志耘・秋谷裕幸・太田斎・趙日新『呉語處衢方言研究』、林璋・佐々木勲人・徐萍飛『東南方言比較研究―寧波語・福州語・厦門語の分析』、樋口勇夫『臨汾屯里方言研究』。内容的には方言関係、特に呉語に関連するものが多いが、『燕京婦語』のように生粋の旗人北京語を反映した資料もある。
今日まで22年間も継続できたのは偏に投稿者諸氏と支援者のおかげである。平山久雄・慶谷壽信両先生、水谷誠・遠藤光暁両氏を始めとする諸先輩や友人、中国および其他の国の研究者諸氏、早稲田大学の同僚を始めとする方々からの声援に心から感謝したい。この場をお借りして今後のご支援についてもお願いする次第である。
なお2001年11月に『開篇』が日中学院倉石武四郎賞をいただく栄誉に浴したことを附記しておきたい。


平成19年度学会員動向

会員動向(平成19年12月1日現在)
総会員数1,969名、準会員数65機関、
賛助会員数8社

●本年度『学会便り』第1号発行以来判明した物故会員は以下のとおりです。
(敬称略)
東北地区    細矢 和夫 (2007.1.27)
関東地区    功刀  正 (2006.2.11)
立石 廣男 (2007.6.9)
新田 幸治 (2007.8.29)
三浦理一郎 (2007.3.1)
近畿地区    上村 幸治 (2006.7.5)
福嶋  昇 (2006.9.12)
三宅 正彦 (2007.3.23)
中国・四国地区 深井 紀夫 (2007.3.25)
横田 輝俊 (2007.5.15)
九州地区    柿村  峻

●退会会員
○退会申出会員  27名

○四年会費未納による退会会員  計43名
●住所不明会員  43名


平成19年度新入会員一覧

10月5日開催の評議員会で入会が承認されたのは、以下のとおりです。

●通常会員  19名
荒井  礼
荒木 達雄
尾崎順一郎
片倉 健博
金  文学
黄  明月
小林 春樹
佐々木 聡
三瓶奈津子
下地早智子
鈴木 弥生
竹内 航治
田中 琴恵
田中 譜美
陳   洲
花村 昭紀
原田  信
三橋佳奈子
村田 みお

●準会員  2機関
京都府立大学附属図書館
早稲田大学高等学院独中国語学科

尚、以下の6月入会者については、本年度の名簿に掲載されています。

●通常会員  37名
青木沙弥香  李  承律  池田 雅典
石黒ひさ子  益西 拉姆  市原 里美
伊藤 浩志  王  啓発  大渕 貴之
小野澤路子  甲斐 雄一  郭   頴
木本 拓哉  胡  慧君  寇  振鋒
黄  崇修  佐藤 礼子  嶋田  聡
島田  悠  須賀久美子  清野 充典
高橋 康浩  田中 良明  中嶋  諒
永塚 憲治  朴  在慶  橋本 陽介
林  雅清  原瀬 隆司  原田  愛
日比谷泰宏  水野 杏紀  宮武  環
横田むつみ  吉田  薫  李   瑩
盧   濤
●準会員  1機関
筑波大学附属図書館

●賛助会員  2社
(株)好文出版
(株)燎 原


名簿の訂正と委員の追加

●名簿の訂正
本年度発行の名簿に誤りがございましたので、謹んで訂正させていただきます。
ご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。(※本ホームページでは、個人情報に該当する部分は掲載しておりません)

1ページ
論文審査委員会(追加) ○大木 康

●委員の追加
大会委員会 阿川修三


学会展望へご協力のお願い

『日本中国学会報』には毎冊、文献目録が載せられています。これは担当校の尽力によって可能な限り広く収集しているものですが、出版物が増加する一方の昨今、捜求はいよいよ困難になっています。執筆された御本人からのお知らせをお願いするゆえんです。
次号第60集(2008年10月刊行予定)には、2007年(平成19年)の文献目録を掲載します。2007年1月~12月に刊行された著書・雑誌論文等をお知らせ願います。

なお、昨年から郵便による御報告は廃止しておりますので、E‐mailでのみお知らせください。
論文も著書も1編、1冊ごとに、部門・分野をご記入のうえ、以下の該当する部門の担当者にお送り願います。

[哲学部門] 〓  和順

[文学部門] 佐竹 保子

[語学部門] 佐藤 晴彦

各部門の分類は以下のとおりです。
○哲学部門 一、総記
二、先秦
三、両漢
四、魏・晋・南北朝
五、隋・唐
六、宋・金・元
七、明・清
八、近現代
九、琉球・朝鮮
十、日本
十一、書誌学
十二、その他

○文学部門 一、総記
二、先秦
三、漢・魏・晋・南北朝
四、隋・唐・五代
五、宋
六、金・元・明
七、清
八、近現代
九、民間文学・習俗
十、日本漢文学
十一、比較文学
十二、書誌

○語学部門 一、総記
二、文字・訓詁
三、音韻
四、語彙
五、語法
六、方言
七、教育・学習
(教科書は含みません)

○国内発行の刊行物に限ります。発表言語の種類は問いません。


学会展望へのご協力のお願い

「国内学会消息」は、来年4月発行の「学会便り」に載せることになっています。
2007年1月から12月までに開催されました国内学会の原稿は、来年(2008年)2月末日までに、下記宛にE‐mail、または郵便(フロッピー同封)でお送り願います。※本ホームページでは、メールアドレスおよび送付先は掲載しておりません。

広島大学文学研究科 富永一登

○「研究会の案内」記事募集

来年4月発行の「学会便り」(4月20日発行予定)には、各種研究会の案内を掲載する予定です。研究会の名称、開催日時・場所、連絡先などをお知らせ願います。