日本中國學會

The Sinological Society of Japan

『日本中国学会便り』2008年第1号

2008年(平成20年)4月20日発行

彙報
日本学術会議・東洋学アジア研究連絡協議会・ICANAS-40のこと
理事長 池田 知久
『朱子語類』訳注刊行会について
北海道大学 佐藤 錬太郎
2007年柳宗元研国際学術討論会に参加して
岡山大学 下定 雅弘
中国語教育学会
大阪大学 古川  裕
日本中国学会第59回大会傍聴記
南京大学 曹   虹
各種委員会報告
[論文審査委員会]土田 健次郎


[選挙管理委員会]神塚 淑子



国内学会消息
平成19年1月1日~12月31日
日本中国学会六十年記念行事について
日本中国学会六十年記念行事および事業実行小委員会
研究会案内
第60回大会開催のお知らせと発表者募集


日本学術会議・東洋学アジア研究連絡協議会・ICANAS-40のこと

理事長 池田 知久

テーマに掲げた組織・機関・国際会議は、大多数の会員にとっては縁もゆかりもない、雲の上の遙かに遠い存在でしかなく、恐らく何の関心も引き起こさないヨソゴトであろう。あるいは、多少事情をご存じの向きには、重苦しい責務の遂行を伴って迫ってくる、ご無理ごもっともの震源地であるかもしれない。
しかし、客観的に我々を取りまく研究環境を少し引いたポイントから眺めると、中国研究やさらに広く東洋学・アジア研究の大枠を、日本の国家的レベルで決めているのが日本学術会議であるから、やはりその動向に対しては絶えず注意の眼を向けていかざるをえない。一方、主体的に現在、中国研究の抱えている困難を打開しようとするならば、他の東洋学・アジア研究の学会と連携して共同歩調を取ることも必要となり、また、世界の学界に向かって日本の中国研究を発信する機会を活かしつつ、むしろ自らの学問を鍛えることを可能にしたいと考えて、東洋学・アジア研究の最大規模の国際会議、ICANAS―40に対して積極的にコミットすることも計画されてよい、と思う。

日本学術会議は2005年10月から第20期に入り、それまでの体制・考え方を一新した。この改革が成功したのか、それとも失敗だったのかについては、何とも言いがたいと考える者であるが、しかし改革が行われたという現実はやはり受け入れざるをえない。私自身は第19期の会員かつ東洋学研究連絡委員会(以下、研連と略称)委員長であり、またそれ以前は第18期の東洋学研連委員でもあった。その立場から、日本中国学会にとっての現在の学術会議の問題点を考えてみたい。
新学術会議は、その組織としての性格を、日本における代表的な「科学者コミュニティー」であると位置づけ(ちなみに、従来は総務省に所属、新体制では内閣府に直属する国家機関である)、その社会的役割を、科学研究の成果に基づいて政府や国民に対して「中立的助言」を行うことと規定する。この限りでは、従来、ややもすれば性格・役割が曖昧のまま、名誉職たる会員の集まる「学者の国会」と美称されるものの、その実、政府の諸政策に対して反対することばかりが目立つ高踏的なサロンであったり、あるいは各学会や各領域の對立する利害を調整するための機関であったり、といった否定的側面を修正したと評してよいのではなかろうか。
以上のことに対応して、会員(学術会議法によって定員210名)と連携会員(旧制度下の研連委員に相当。学術会議法によって定員2160名)の選出については、従来の各学会からの推薦に基づく選挙という方式を捨てて、現任会員の手によるCOOPTATION(推挙)に変えてしまった。それどころか、新学術会議は各学会のあり方(学問内容・研究動向・利害など)を汲み上げることを、利益団体の圧力に屈することと見なして過度に嫌い、逆に上から各学会を指導していくという方向を打ち出している。
また、新学術会議は、以前にも増して自然科学中心主義となってしまった。第19期までの学術会議全体の部会構成は、第1部が人文学、第2部が政治学、第3部が経済学、第4部~第7部が自然諸科学であり、7分の3を文科が占めていた。けれども、新学術会議の部会構成は、第1部が人文社会科学、第2部・第3部が自然科学であり、文科は3分の1を占めるにすぎない。こういう部会構成の数字だけでなく考え方の点でも、私には理科中心主義が強化されているように感じられる。
我が日本中国学会は、従来、学術会議に対して「哲学」「文学」「東洋学」の三つの研連委員会に複数の学術会議会員と多数の研連委員を送り出し、戦後長期にわたって日本の学問研究の発展に貢献してきた。しかし、新学術会議は諸学会に立脚するという考え方を基本的に否定するために、学術会議会員・連携会員の選出に際して研究領域ごとのバランスを取るという考えに背を向けている。特に問題と感ずるのは、学術会議会員に選出された中国研究者・アジア研究者が非常に少なく(合計4名。朝鮮研究者に至ってはゼロ)、また中国学会のメンバーはただ1名しか入っていないことである。(なお、「地域研究」委員会に若干のアジア研究者が入っている。)あまりのアジア軽視ではなかろうか。その上、新学術会議でも哲学委員会と語学文学委員会は存続を認められたけれども、東洋学委員会は存続が認められず、「東洋学」という名称が学術会議の中から消えてしまった。
以上のような中国研究・アジア研究を取りまく国家の制度の大状況が、直接、我々の現在および将来の研究を左右する環境になることは明らかであり、今日の中国研究・アジア研究の地盤沈下の原因の一つがここにあると見てもあながち誤りではあるまい。その健全な方向への立て直しのために、中国学会の応分の取り組みが期待されている。

東洋学・アジア研究連絡協議会は、2004年12月に創立された、民間ベースの学会連合である。上述したように、学術会議は2005年9月に第19期を終えて、同年10月から第20期に入った。この移行の大分前から、当時の東洋学研連を構成する十数学会の委員たちの間で、以下のような新学術会議に関する危惧の念が共有されていた。――新体制下では、これまで長年にわたって存在し活動してきた東洋学研連が、淘汰されて存続を許されなくなる危険性が高いこと、仮に存続したとしても、従来どおりの東洋学・アジア研究に関する連絡・協議を続けることはまず不可能であろうこと、このような状況を放置するならば、日本における東洋学・アジア研究の地盤沈下にますます拍車がかかるであろうこと、などという危惧である。
そこで、2004年の春ごろから準備を始めて、同年12月創立大会を開いてこれを結成し、2005年6月第1回総会を開催した。現在は40学会が正式参加、数学会がオブザーバー参加して、この領域に関する連絡・協議を行っている(毎年2回)が、最も重点的に取り組んでいる課題は、新学術会議の中に「東洋学・アジア研究」委員会を設置するよう要求していることと、後述のICANAS―40を日本で開催すべく準備を始めていることである。こうした活動の中で、我が中国学会は、他の4学会(東方学会・日本印度学仏教学会・東南アジア学会・日本道教学会)とともに幹事学会を引き受け、重要な役割を演じている。今後は、この連絡協議会を一つの足がかりとしつつ、我が中国学会も多少の力を投入して、民間の力で東洋学・アジア研究を盛り上げていきたいものと念願している。
参考までに、以下に、創立大会で採択された「設立趣意書」を再録しておく。

東洋学・アジア研究連絡協議会設立趣意書

(2004年12月)

日本において、東洋・アジアの古代から現代に至る諸文化を各種各様のディシプリンで研究する東洋学・アジア研究に関係する諸学協会が、将来における斯学の一層の振興を図り、そのために相互の学術交流と連絡協議を行い、また学術行政に対して制度的な対策を図り積極的な提言を行い、さらに国際的な東洋学・アジア研究の動きにも対応する機関として、ここに東洋学・アジア研究連絡協議会を設立する。
その主な目的は以下のとおりである。
1.東洋・アジアの古代から現代に至る諸文化を各種各様のディシプリンで研究する東洋学・アジア研究を、日本の将来において一層推進し発展させるために、本連絡協議会に参加する各学協会は、相互に学術交流を進め、必要に応じて連絡協議を行う。
2.この目的を達成するために、本連絡協議会は、日本学術会議などの学術機関の組織や活動に積極的に参加し、日本の研究者コミュニティーの一員としての役割を果たすとともに、学術行政の改善を目指して制度的な対策を図り積極的な提言を行う。
3.また、本連絡協議会は、日本学術振興会の科学研究費補助金などの競争的研究資金の創設整備を始めとして、東洋学・アジア研究の基盤整備を可能な限り推進するとともに、若手研究者や次世代研究者を育成するための教育体制の整備に努める。
4.さらに、本連絡協議会は、東洋学・アジア研究に関する海外の学協会および国際的学術連合との交流を維持拡大し、日本における東洋学・アジア研究の研究成果を積極的に海外に発信することを通じて、世界における東洋学・アジア研究の発展に寄与するよう努める。

ICANASとは、International Congress of Asian and North African Studies(国際アジア・北アフリカ研究会議)の略称である。この国際会議は、1873年にフランスのパリで第1回が開かれた国際東洋学者会議(International Congress of Orientalists)の後身であり、すでに合計38回の大会開催の歴史と105年に及ぶ長い伝統を有する、世界最大規模の東洋学・アジア研究の研究会議である。
この会議の開催に責任を持ち、世界の東洋学者・アジア研究者の国際活動をサポートする組織が、国際オリエント・アジア研究連合(IUOAS、International Union for Oriental and Asian Studies)であり、第2次世界大戦後の1951年に創立された。しかし、その前身である国際東洋学者連合(International Union of Orientalists)は、上述の1873年に創立されている。そして、このIUOASは、ユネスコの主唱で国際学士院連合(International Academic Union)が連絡・斡旋に当たり中心となって1949年に設立したNGO組織である国際哲学・人文科学協議会(International Council for Philosophy and Humanistic Studies)に加盟している国際学会でもある。
我が中国学会との関係について述べれば、1960年8月、ソ連のモスクワで開催された第25回会議に、京都大学の吉川幸次郎教授を推薦し派遣したのが最初のコミットメントであった。この時(1959年11月)日本中国学会は、理事会および専門委員会の合同会議で吉川教授の推薦・派遣を決定しているが、以後は3・4年に1回開催されるこの国際会議に、候補者を推薦して派遣する仕事が専門委員会(後に学術専門委員会と改称)の新たな任務となった。そして、1983年8月の第31回(当時の名称はCISHAAN、International Congress of Human Sciences in Asia and North Africa)の開催を日本として始めて引き受け、他の4団体(日本学術会議(東洋学研連委員会)・東方学会・日本印度学仏教学会・日本オリエント学会)と共同主催して、これを成功に導いた。参加者は50カ国、1863名、発表者は782名。5団体の内、学術会議は唯一の国家機関であり、1951年に上述のIUOASに加盟しているので、日本の諸学会はこれを窓口としてIUOASおよびICANASに関わる、という仕組みになっている。
その後、20世紀の終わりごろから、ICANASを日本で開いてもらいたいとする国際世論の圧力が次第に強まってきた。この圧力を受けて第19期学術会議の東洋学研連委員会は、関係する各学会と協議の上、2010年8月のICANAS―39日本受け入れを内定した。我が中国学会も今期の理事会においてこれを支持し参加することを決定している。しかし、受け入れの条件が熟さなかったために結局これは見送られ、ICANAS―39は2010年オランダのライデンで開催されることが決まった。そこで次に問題となるのは、2013年のICANAS―40日本受け入れである。
ところが、本稿の最初に述べたように、新体制の学術会議は東洋学研連委員会の存続を認めず、それゆえICANAS―40の日本受け入れは大きな困難に遭遇している。幸いなことに東洋学研連委員会の活動の一端は、第20期に設けられた「史学」委員会内の「IUOAS分科会」に引き継がれた。このIUOAS分科会は、バブル経済崩壊後の日本にふさわしいICANASの開催形態を模索してきたが、上述のように、受け入れの条件を熟成させることができなかった。考えてみれば、ICANASというような東洋学・アジア研究の大きな国際会議を、学術会議の「史学」委員会が取り扱うこと自体に無理があるのではなかろうか。
こういうわけで、上述のように、新たに結成された連絡協議会の運動を通じて、学術会議の内部に「東洋学・アジア研究」委員会を設置するよう要求し、自然科学の研究者をも含めた世論の賛同を得ることが必要となるし、また、ICANAS―40の日本開催の機会を活かして、内外に向かって日本の東洋学・アジア研究の伝統と成果を発信しつつ、我が中国研究の地盤沈下を食い止める手立てを見出すことが必要となる、と考えている。


『朱子語類』訳注刊行会について

北海道大学 佐藤 錬太郎

朱子学の基本資料である『朱子語類』には、宋代の特殊な口語語彙や語法が見えるため、中国哲学や中国史の研究者のみならず、中国語学や中国文学の研究者もしばしば部分訳を試みています。『朱子語類』を正確に解読する作業は、朱子の思想のみならず、その影響を受けた中国近世の思想、李氏朝鮮、江戸時代の日本を研究する上で必要かつ不可欠な作業です。しかし、『朱子語類』が読みにくい上に、140巻という大冊のためか、全巻の現代語訳は存在していません。この事実は、朱子と同時代のイタリアの神学者トマス・アクイナスの大冊『神学大全』に全訳があり、誰でも現代語訳を読めるのと好対照をなしています。江戸時代には『朱子語類』の訓点本が出版され、武士が学んでいたにも拘わらず、現在では一般の読者が読むことも他分野の研究者が利用することもできません。これでは、近世思想の研究者が研究成果を社会に還元する責任を果たしていない、という譏りを免れません。
宋明研究会(溝口雄三教授主催)が雑誌『汲古』に『朱子語類』の訳注を掲載し始めたのは、昭和62年(1987)12月のことでした。汲古書院では溝口先生の熱意に応え、二十一年間、連載を継続しています。朝日新聞(2007年9月11日)の出版ニュースでも紹介されたように、平成19年(2007)7月に汲古書院から『朱子語類』訳注(巻一~三)が出版されました。巻一・二は恩田祐正氏、巻三は垣内景子氏が主に担当しています。汲古書院では今後も刊行を継続し、全140巻の全訳刊行の実現を目指しています。
これを承けて、平成19年(2007)8月2日に、東京大学文学部で第1回訳注刊行委員会が開催されました。『朱子語類』は大部のため、宋明研究会関係者だけでは計画倒れになる恐れがあるので、宋明学の研究者を養成している全国の基幹大学に呼びかけて協力を要請する必要があるという意見が承認されました。そこで、溝口先生より連絡係を委任された私が、8月から9月にかけて全国の研究拠点大学関係者に協力を呼びかけました。
若手の宋明学の研究者が減少傾向にあるため、各大学の枠を超えて、訳注の分担ができる若手研究者を全国的な協力態勢のもとで養成する必要がある、と協力を要請したところ、大方の賛同を得ることができました。
協力者が一堂に会して訳注作業の要領、分担部分を確認をするため、10月5日に名古屋大学文学部大会議室で第1回の訳注刊行協議会を開催しました。協議会の開催に当たっては、平成19年度日本中国学会大会の準備に当たられた名大の先生方に格別のご高配を頂きました。ここに記して、厚く御礼申し上げます。お陰様で、全国から28名の同志が参加し、訳注刊行の計画、全巻の分担表および同意事項を確認することができました。協議会の冒頭で、溝口先生より、『朱子語類』訳注の意義について、次のような挨拶がありました。
「朱子学は、12世紀、中国近世に生まれ、やがて14世紀の李氏朝鮮、17世紀日本の徳川時代初めに伝播し、その「礼治」原理がそれぞれに共有されてきた。東アジア三国は、政治の根底に、また法の根底に、あるいは経済活動、社会生活の根底に「礼治」原理を設置してきた。近代に入って秩序原理としての普遍性がただ「法治」主義だけに一元化され、「礼治」原理が表舞台から退いて久しいが、21世紀初頭の今、「礼治」システムの歴史的な実態を知ることは、「法治」主義の過度の普遍化、「法治」原理の過度の絶対化あるいは道徳原理の軽視などの現代社会に、清新な自己再検討の契機を与えることになるだろう。『朱子語類』の全訳注作業が、この21世紀の半ば以前に完成するならば、キリスト教、儒教、イスラム教などに抱懐される秩序原理のそれぞれが、今世紀内に多元的に機能しはじめるであろう事態に間に合うことが予測され、とすればこの作業がそのための一助になるであろうことが確信されるのである。」
また、吾妻重二氏より、訳注の底本である中華書局本について説明があり、賀瑞麟校刻本付載の『朱子語類正僞』一巻・『朱子語類記疑』一巻を利用すべきこと、朱子の門人に関しては方彦寿『朱熹書院与門人考』(華東師範大学出版社)を利用すべきことなどが提起されました。
協議会の後、今後の作業分担や日程、原稿の取りまとめについて協議するため、本年(2008)3月8日に武蔵大学会議室で第1回作務会を開催しました。訳注作業の世話役として、作務会には、6名の委員(溝口雄三、佐藤練太郎、小島毅、垣内景子、恩田裕正、伊東貴之)が参加しています。作務会では、『朱子語類』訳注第一回配本分の初版600部が昨年末に完売し、再版600部が印刷されたことや、第二回配本以降の予定、および訳注分担作業の進行状況についての照会結果について報告がありました。
作務会の協議の結果、訳注原稿については、そのまま出版するのではなく、各大学、研究機関の研究雑誌、紀要等に逐次公表するよう、分担者各位に要請することが確認されました。各分担者は公表した原稿をまとめて、遅くとも5年後には刊行できるよう準備することになります。また、今後の作業予定や刊行助成金について協議するため、平成20年度の日本中国学会大会の開催に合わせて、刊行委員会を開くことなどが決定しました。
『朱子語類』訳注に関心をお持ちで、協力を希望される日本中国学会会員におかれましては、刊行委員会メンバーもしくは事務局の恩田裕正氏まで申し出ていただければ幸いです。

現在の刊行委員会のメンバーは下記の通りです。(敬称略、五十音順、※世話役)
青木  隆   吾妻 重二   井川 義次
市来津由彦  ※伊東 貴之   伊藤 文生
宇佐見文理   大島  晃  ※恩田 裕正
※垣内 景子   金  文京   熊本  崇
興膳  宏  ※小島  毅   近藤 浩之
※佐藤練太郎   末木 恭彦   土田健次郎
中  純夫   長尾 直茂   永冨 青地
難波 征男   林  文孝   本間 次彦
松川 健二   馬淵 昌也  ※溝口 雄三
三浦 国雄   三浦 秀一   吉田 公平
吉田  純   渡辺  浩

(以上)

【追記】陽明学連絡会について
中国浙江省余姚市の王陽明の生家が修復され、一般に開放されることとなり、2007年4月に一般開放祝賀式典および王陽明国際学術シンポジウムが開催されました。私と荒木龍太郎氏が余姚市の招待を受けて参加しました。その際に、2008年に全中国の陽明学会が創設されるにあたり、研究交流を進める上で日本に陽明学の連絡会すらない現状は不便であり、なんとかしてもらいたい、という要望が、浙江省社会科学院の国際陽明学研究中心主任の銭明教授から寄せられました。それを承けて、2007年10月5日に日本中国学会の会員40名からなる陽明学連絡会を結成しました。今後、中国の陽明学会との連絡窓口になると共に、大学の枠を超えて朱子学、陽明学に関心を持つ若手の研究者が交流を図れるよう、研究情報を提供することとなりました。
2008年10月中旬に、王陽明龍場悟道500周年を記念する国際学術討論会が貴州市龍場で開催される予定です。私と水野実氏、永冨青地氏、小川晴久氏、馬淵昌也氏の5名が連絡会を代表して参加する予定です。会議の詳細については、帰国後にメールで会員に報告する予定です。本会への加入を希望される方は佐藤練太郎まで連絡してください。


2007年柳宗元研国際学術討論会に参加して

岡山大学 下定 雅弘

2007年10月16日から18日の3日間の日程で、山西省永済市で柳宗元の研討会が開かれた。その正式の名称は「第四届柳宗元国際学術討論会曁首届河東柳氏文化交流会」である。宿泊は永済電機賓館。学会の手冊を見ると104名が参加者名簿に載せられている。うち、中華人民共和国以外からの参加者は、台湾2名、日本3名、韓国2名。日本人参加者は黒田真美子・戸崎哲彦両氏と筆者である。
この学会は柳宗元ゆかりの地で数年に一度開かれている。第一回は1993年に柳州で行われ、この時、中国柳宗元研究会が成立した。第二回は2002年に永州で、第三回は2004年に柳州で、そして第四回は、柳宗元の籍貫である永済で開かれたのである。
16日は、開幕式が午前9時頃から柳園の門前に会場を設営して行われた。会場のまわりには学会開催を祝うアドバルーンが上げられ、舞台の左右には空気をモーターで送りこむ方式のビニールの赤い柱が4本立ち、「弘揚柳学文化、加强聯誼交流」などと書いてあった。また、赤い服の100人前後の女子高生のブラスバンドが演奏し、緑の服を着て花が開いたり閉じたりする仕掛のバトンを持った年配の女性たちが踊って開幕式の雰囲気を盛り上げていた。演壇には市の行政幹部や孫昌武教授をはじめとする学会の指導者が立たれた。その中に83歳になられた呉文治教授が杖をついて立っておられる姿も見られた(しばらくして車椅子に坐られた)。市の幹部らの祝辞の後、学会会長孫昌武教授が挨拶。柳宗元研究の発展と永済市が当地の文化遺産を守りつつ発展することとが互いに刺激しあって、どちらも前進するようにという趣旨の話をされた。その後は表演。永済市の小中学生や歌手による歌や踊り、武術等8演目が行われて10時半ころに終わり、柳園内で合影。柳園を参観してホテルに帰った。
昼食後は2時半に出発して、鸛雀楼・鉄牛・普救寺の三箇所を観光。観光からもどって、6時過ぎ、賓館の斜め前の永済電機康迪餐厅で永済市長招待の宴会。8時頃に散会した。
17日、学会2日目は研討会。9時半に食堂の上の6号会議室で全体会議。孫昌武教授が、分科会での発表について、読むのではなく要点だけを話すようにとの注意をされた。分科会は10時から賓館貴賓楼3階の会議室で3組に分かれて行われた。手冊によれば、第一組は孫昌武氏以下45名、戸崎氏はこの組に参加。第二組は呉文治氏以下26名、黒田氏はこの組に参加。第三組は尚永亮氏以下23名、下定はこの組に参加した(実際の参加は、第一組は2/3、第二組は不明、第三組は9名)。
夜は、分科会が終わったということで実質的な閉会気分。夕食時、少なからぬ参加者がビールや白酒(この地の白酒は「柳河東」という名)を飲んでいた。
18日は、午前中が全体会議。宴会が昼に挙行され、午後4時に閉幕会が行われた。ただし筆者は所用あってこの日早朝永済を離れたので、以下は尚永亮および戸崎両氏からの聞き書きである。ただし運城学院万徳敬氏の学会についての詳しいメモを尚永亮氏から提供していただいたのでこれを参考にし、かつ万氏にメールでも問い合わせて確認したことを記す。
午前中は大会発言。前半は、翟満桂(湖南科技学院科研処処長、中国柳宗元研究会副会長)が司会に当たり、後半は陳瓊光(中国柳宗元研究会副秘書長、柳州市社会科学界聯合会副主席)と仝毅氏が司会に当たり、9名の学者が発表した。
9名の尊名及び身分と発表題目は以下の通り。
〈前半〉
1.王麗娜(国家図書館参研部研究員、発表題目「柳宗元詩文在国外的流伝与研究」。以下同じ)
2.洪承直(韓国 順天郷大学中文系教授、「二十世紀以来在韓国柳宗元研究情況与展望」)
3.孫琴安(上海社会科学院文学所研究員、「簡論柳宗元的絶句」)
4.孫代文(柳州市職業技術学院教授、「柳宗元手迹〈懿王像賛〉辨偽」)
〈後半〉
5.翟満桂(「〈天問〉与〈天対〉―関于屈原与柳宗元的精神対話」)
6.傅如一(山西大学学報編輯部社長・主編、「解放思想 拓寛視野 進一歩引申柳宗元学術研究」)
7.王雪樵(原運城日報社総編輯、「〈呂譲墓誌〉関于柳宗元的記載」)
8.祁世坤(中国北車集団永済電機廠高級政工師、「柳園の更なる発展のために(万徳敬氏による内容紹介により仮りに題した)」)
9.戸崎哲彦(日本島根大学法文学部教授、「韓愈撰〈柳州羅池廟碑〉之謎団―撰文、立碑的年代及其撰碑原因」)。
閉幕会では、会長の孫昌武氏が所用あって閉会に先立ち永済を離れたので、尚永亮副会長が学会の総括を行った。ほぼ1時間、氏は以下の感想を述べている。
1、「柳学」はすでに一千年を超える歴史を持つが、科学的な研究が始まったのはここ百年ほどのこと。呉文治・孫昌武・謝強漢の三先生が今日の系統的な柳宗元研究のために多大の貢献をしてくださった。2、「柳学」は、永州・柳州・永済という三台の馬車が協力し共に進むことで発展している。白居易について、日本では「白居易研究年報」があるのに中国にはない。それは地方の文化的・経済的な支援がないからだ。柳宗元は白居易に比べて実に幸福、三つの脚が鼎となって柳学を支えている。3、我々は柳学において豊富な成果を挙げているが、解決しなければならない問題がある。普及と運用はたしかに大切だが、研究のレベルを高め、優れた論考をたくさん生み出すことが研究者の任務である。いかにすれば柳学を深化することができるのか?①柳宗元は散文の大家で、学者は往々にして散文に注目してきたが、詩歌の研究をもっと強化すべきだ。②柳宗元集の整理と校注の仕事を進めること。散文についてもまともな研究といえるものはわずかだ。この面でも研究を強化し、文献の整理と校注の仕事を進めないといけない。③文学は史学や哲学と共通する面もあるが、文学の独自性に着目した研究が必要。文献学・文芸学・文化学・人間学(漢語では「人本学」)・哲学などの視点による研究を進めよう。この中では文芸学と人間学が核心だ。4、今回提出された論文はほとんどが柳宗元のみに焦点を当てていて、比較研究が欠落している。比較によってはじめて柳宗元の文学の特徴や新しさが見える。蘇軾が陶淵明と柳宗元とを関連づけ、元好問が謝霊運と柳宗元を結びつけた、その観点を我々は重視しなければならない。5、現代は情報が氾濫し、電子情報も大量に出現している、こうした物質的に有利な条件を最大限利用しよう。6、孫昌武先生は柳学の最大の特徴は「学政結合」だといわれた。地方政府の支援に最大限の感謝をしたい。しかし学術の発展は学者の一生をかけた努力によってはじめて可能だ。柳学にはなさねばならぬ仕事が非常に多い、たとえば柳宗元文集の校注考訂、新春秋学との関係など、みな柳学に志す人の取り組むべき課題だ。
閉幕式では、次回は2009年、永州で開催することが確認された。
提出された論文について一言しておく。手冊に拠れば、総数は60篇(報到後の追加論文は含まない)。これを対象によって分類すると、文が34篇、詩歌が10編、詩文双方が5篇、その他(エッセイ風のものなど)11篇となる。文についての研究課題は、師道・孝道・天論・崇仏・民本・永貞革新(以上、思想的課題)、寓言・山水記・伝記・離騒との関係・駢散について(以上、文学的課題)など、実に多岐にわたっている。これに対して、詩歌についての論は数そのものが少ない。その課題も、「行路難」の解釈・「唐鐃歌鼓吹曲」の賞析・「漁翁」「江雪」の自我形象などであり、内容や詩風の変化に踏みこんだ研究に乏しい。尚永亮氏がいわれるように、詩歌の研究を強化することは、たしかに「柳学」の今後の課題の一つである。なお戸崎氏以外の日本人参加者である黒田氏の論文題目は「関于柳宗元的〈李赤伝〉」であり、筆者のそれは「柳宗元如何詠出対陶淵明的敬慕?」である。
最後に、万徳敬氏の「“柳学”的新親展―第四届柳宗元国際学術討論会曁首届河東柳氏文化交流会召開」なる一文が、「中国文化報」(2007.11.17理論版)http://www.ccdy.cn/pubnews/482512/20071117/530484.htmに掲載されている。興味のある方は参照されたい。


中国語教育学会

大阪大学 古川  裕

中国語教育学会(http://www.jacle.org/ The Japan Association of Chinese Language Education)は、日本の各地で中国語教育に従事する教員、あるいは、いずれ中国語教育に従事しようとする学徒の相互連携を深め、理論的研究と実践的応用能力の向上を目的として活動している。2008年3月末時点での総会員数は430名であり、日本国内のみならず、中国や台湾在住の海外会員も含まれている。
具体的には、毎年春(5~6月)に開催する全国大会、関東および関西地区(九州地区でも計画中)で定期的に開催する研究会や講演会、学会誌『中国語教育』(年刊)の発行、会報およびホームページ(http://www.jacle.org/)を通じて中国語教育に関連する国内外の情報を広報するなどの活動を行なって、斯界への貢献を目指している。2008年度第6回全国大会は、6月7~8日(土・日)に北九州市立大学を会場として開催予定である。

本学会の成立経過を時間軸に沿って辿ってみると、1996年10月に全国中国語教育協議会の準備会が発足し、翌1997年10月に同協議会の第1回設立大会が開催された時点に遡る。いずれも日本中国語学会の全国大会が開かれた機会を借りて、有志の会員を募って行なわれたものである。更にその後5年の日時を経て、2002年3月27日、全国中国語教育協議会第3回大会(会場は日本大学)において、同年4月より中国語教育学会へ移行することが決まった。
この間、協議会設立から学会移行への発展的継続を一貫して指揮実行されたのが、当時東京外国語大学教授(現在、同学名誉教授)の輿水優先生(第1期2002~03年度会長)であり、その後の学会活動を第2期会長として軌道に載せられた東京外国語大学教授の依藤醇先生(第2期2004~05年度会長)であった。報告者は、両先生が立ち上げ、そして基礎を固められた学会を第3期(2006~07年度)および第4期(2008~09年度)の会長として引き継ぐ者である。

全国中国語教育協議会の設立から数えておよそ10年あまり、中国語教育学会へ移行してからもわずか5年余りという若い組織であるだけに、本学会は学会組織としてもまだまだ未熟であり、意余って力及ばぬところが多々ある。周知のように、この10年のあいだに、中国語教育――大にしては外国語教育――をとりまく外部環境はドラスティックに変化し、言語教育のハードとソフト両面の条件も日進月歩の勢いで変化を続けている。なかでも、中国、中国語に対する日本人の意識やニーズも多種多様に変質していることを思うと、本学会の果たすべき役割もそれらのダイナミックな外的変化に、しなやかに、したたかに対応できるものでなくてはならないと痛感させられる。
まず自省するのは、「中国語教育学会」と名乗りながら、日本各地でさまざまに行なわれている中国語教育の現場からの声を充分に代表できていないことである。会員の圧倒的多数が大学で教鞭をとる常勤もしくは非常勤の教員に偏在しており、しかもその専攻分野を中国語学とする者が多い。いきおい全国大会や研究会における研究発表も、いわゆる中国語学プロパーのテーマに片寄りがちであったし、学会誌『中国語教育』への投稿や掲載論文にも同様の傾向が見られた。
今後はより広い立場(たとえば、高等学校や中国語学校、通訳養成機関など)から、より多様な専攻背景を持つ同行を吸収して、日本における中国語教育の実態に対してより密着した柔軟な組織でありたいと思う。その一つの試みとして、2007年5月12・13日に学会設立5周年記念を兼ねて実施した第5回全国大会(会場は関西大学千里山キャンパス)は、高等学校中国語教育研究会と始めてのジョイント開催とし、「到達度評価・ガイドライン」をテーマとする国際シンポジウムを企画し、350人を越す参会者を得て盛会となったことは心強いことであった。
さらに、国内の同行を広く組織する必要性に加えて、日本の外部にも視野を広げ、我々と同じように外国語としての中国語を教えている海外の同行たちとの交流を深めることが一層必要であると感じる。いわば“全球”的な視野のもとに中国語教育をとらえなおすことで、日本の中国語教育が直面する問題が客観化され、国境を越えて情報の共有と交換も可能となるはずである。そのようなビジョンのもとに、本学会では世界漢語教学学会(北京)、世界華語文教育学会(台北)、台湾華語文教学学会(台北)、韓国中国語教育学会(韓国)、シンガポール華文教師総会(シンガポール)、Fachverband Chinesisch(徳語区漢語教学協会)など海外の中国語教員組織とも交流を進めている。たとえば、上記の第5回全国大会では、韓国中国語教育学会から孟柱億会長(韓国外国語大学)、世界華語文教育学会から曹瑞泰氏(開南大学)、全美中小学中文教師協会からLin Yulan(林游嵐)氏などを招聘してシンポジウムを開催し、韓国、台湾、アメリカそして日本における中国語教育の到達度評価の問題を議論できたことは、それぞれにとって刺戟的な経験となった。
また中国語教育をめぐる外的な変化と言えば、中国の動きも大きな要因である。現に、2005年夏、北京人民大会堂などを会場として大々的に開催された“世界漢語大会”以来、中国が国家的戦略として推し進めているソフトパワー“漢語国際推広政策”の勢いが、日本を含め、世界各国の中国語教育に対し(ひいては日本語教育に対してさえも)、無視できない影響を陰に陽に与え始めている。世界各地に設立された孔子学院は当初目標数の倍である二百校を越え、日本国内においても既に10を超える孔子学院、孔子学堂が運営を始めている。本学会は、これら新来の勢力に対し、徒らに警戒感を抱き遠巻きに動静を伺うよりも、学会役員メンバーに孔子学院の関係者を迎え、講演会を共催するなどして、実質的な交流を進めている。

最後にご参考までに、学会誌『中国語教育』の既刊5冊に掲載された中国語教育に密接に関係する論考の題目をまとめておく。
●文法事項の体系的理解を目指した中国語教授法について
●中国語初級学習者はナニに困難を感じるか―大学における中国語受講者へのアンケートの結果分析とその対策
●ソフトアプローチの中国語教育法――歌や映画・ドラマなどを素材として
●中国語初級学習者の可能表現の習得に関する縦断研究と誤用分析
●公立学校における中国渡日児童生徒の母語保持のための中国語教育
●日中両国人教師による同時指導の試み
●中国語の語順教授に関する一考察
●日本人学習者の中国語聴解過程をたどる試み
●機械支援教育の一考察―中国語eテキスト開発を中心に
●インタビュー教材を利用したヒアリング練習
●中国語中級学習者の講読授業における中日翻訳の誤答について
●コミュニケーション能力の育成を目指した中国語教育―その理論及び実践例
●高等学校における中国語発音教育試論―同時通訳訓練法を中心として
●学習指導案をどう生かすか―中国語教育のスタンダードの確立と学びのつながりの整備を見据えて
異文化理解重視の授業作り
●直接法による中国語教育―桜美林大学孔子学院中国語特別課程の試み
●私の授業―「NHKテレビ中国語会話」2005年5月2日放送分の授業について
●法国英国汉语课听课记录
●汉语母语者的语音听辨范畴对日汉语语言教育启示
●“构造化”輸入在日本汉语初级阶段教学中的应用──从否定副词“不”和“没”的习得到教学活动设计

学会誌『中国語教育』は2008年春に第6号発刊の予定で、最新号およびバックナンバーは内山書店に委託販売を請け負っていただいていることを付記して、稿を閉じたい。


日本中国学会第59回大会傍聴記

南京大学 曹   虹

2007年10月第1週の週末、すなわち6、7日の両日、日本中国学会第59回大会が名古屋大学にて開催された。私はちょうどこの時、野村鮎子教授との共同研究のために奈良女子大学の彼女のところに滞在しており、学会への参加には絶好のタイミングだったのだ。とはいっても、今回の大会見学の体験は、私にとって心の引き締まることであり、また大変喜ばしいものでもあった。
受付でもらった大会参加者名簿によれば、事前受付による参加者は300名近くあった。当日受付の参加者もかなりいたようだ。私は中国国内でこれほど大規模の學術会議を見たことがない。会は三つの会場に分かれ、日本ではこれを部会と称している。第一部会は哲学・思想、第二部会は文学・語学、第三部会は日本漢文であり、それぞれの発表者は、第一部会が13名、第二部会14名、第三部会4名だった。第一と第三部会は普通教室を使用し、第二部会は大講義室を会場としていた。おそらく中国文学および語学を専攻する研究者の比率が高いためだろう。
学問は確かに高度な専門性を旨とし、昨今の学術専門化の流れもこの理念を後押ししてきた。しかしそれに伴って、タコツボ型の研究もはびこりやすくなっている。このような状況下で、日本中国学会がこれほど動員力のある年会形式で、哲学・思想・文学・語学といった各分野の研究者のために専門性の高い発表と隣接分野との交流の場を提供していることは、なんと重要な意義をもつことか。私が中国国内でよく参加しているのは、中国古典文学のある特定の文体(たとえば賦)または時代を区切った文学シンポジウムだけなのだが、このたびの日本中国学会では、慢性化した専門の縛りから抜け出すことができた。
最初に聴いた研究発表は「太宰春台の経学における詩文論の意義」だった。この種の研究視点は思想と文学の双方に関連するものであり、しかも歴史的にみても日本の文人による漢文での創作と思考には、実際直接あるいは間接的に中国文化に対する態度と理解が表われている。学界ではときにこの種の日本文学と漢学の双方にまたがるような古典を「准漢学」と称しているが、畢竟これも近代日本の中国学が国際的な場で優勢を保っていることの歴史的条件であろう。私は、日本語の聴き取り能力の不足に苦しみながらも、他の参加者と同じように時々あちこちの部会に「游足」して、さまざまな分野の発表を傍聴した。
このほか、学会進行の優れた方式で、―それはおそらく日本ではすでに慣例となっているのであろうが、私がひそかに触発されたことがある。たとえば、私の知る限り、中国国内の学会では多くの場合、論文を事前に印刷配布する。しかし、ここ日本中国学会では一律に発表者による概要レジュメのみである。このことは紙の節約による環境保護であるばかりか、発表が皮相的な空談に陥ってしまうことを防ぐという点で有益である。なぜならば、発表者の立論や思考の深化度は、資料を筋道立って並べることに最も反映されうるはずのものだからである。些細なことではあるが、「無徴不信」の誠懇樸実なる学風を醸成するのに役立っていると思う。
この方面では、年配の研究者たちもしっかりと範を垂れている。たとえば、樽本照雄氏は「林琴南は戯曲を小説に翻訳したか―シエイクスピア・イプセンを例として」と題する発表の中で、林訳小説が百年来ずっと蒙ってきた冤罪を晴らし、その配布レジュメをそのまま証拠「資料」として明示された。真理を追究して新しいものを打ち出すことは、学問の生命線だといえる。1980年代、中国の学界は文革の荒廃から徐々に目覚め、近年ではさまざまな学会が開催され、論文著作の刊行量も膨大な数となった。しかし、繁栄の裏側では、なおも新味に乏しいという危機的状況が続いている。試みに樽本氏がレジュメの「林訳シエイクスピアについて冤罪にしてしまった文章」で示された過去100年間の研究論文一覧を数えてみると、1970年代以前の60年間では22篇だが、80年代から現在までのわずか30年間に56篇という数にのぼっている。もしも論文数の増加が研究対象の冤罪を深めることにつながったのだとしたら、これは我々にとって戒めでなくて何であろう。
今回の学会に合わせて、名古屋大学附属図書館では秋季特別展「『游心』の祝福―中国文学者・青木正児の世界―」が開催されており、この120年前に生誕した漢学の泰斗の生前の遺物を参観することができた。中国入国時のビザや中国で観た劇のプログラムに始まり、批閲した漢籍や魯迅・羅振玉・王国維・胡適などの中国の学者や文人との交流を示す書簡に至るまで、青木博士のさまざまな遺品が展示されており、私はこのような資料が大切に収蔵されていること自体にも深い感動を覚えた。
以前、私は青木博士が(明)屠隆『考槃餘事』の日本語訳本のために書かれた序文(麗澤叢書三 中田勇次郎訳『考槃餘事』1943所収―訳者注)を拝読したことがあるが、そこには「文房の清供とは何ぞ。曰く、文雅の士の清玩に供せらるゝ一切の施設であって、其の閑適生活に於ける遊戯三昧の対象である」と述べられていた。この言葉を借りるならば、名古屋大学の図書館に珍蔵されているこれらの遺品は、博士が生前に愛玩した書斎の「清供」だといえよう。生活面から、その「清供」の主人がいかに深く中国文化三昧という「游心」の境地を得ていたかがうかがえるのである。これらの遺品は、また、後世の学界に恩沢を及ぼす「清供」でもあり、「游心」のかぐわしい精神は、確実に後学たちに受け継がれているのだ。
十月末、帰国する前、私は今回の大会準備委員会が送ってくれた集合写真を受け取った。封筒に記されていた名古屋の住所は「不老町」。日本中国学会は次の大会で還暦を迎えるという。「不老」の二字は、まるで天の祝福のようではないか!

(奈良女子大学・野村鮎子訳)

国内学会消息

◎北海道中國哲學會

1月24日
・『大戴禮記』曾子立事篇について   鹿兒島大學助教授 末永 高康
2月16日
・歸朝報告   吉田千奈美
3月22日
・郭店楚簡『語叢四』について   グリーネルカレッジ副教授 Scott Cook(顧史考)
4月27日
・郭店楚簡『五行』について   西  信康
6月1日
・(書評)野間文史著『春秋事語』   近藤 浩之
7月13日
・重論西周金文中的「卿事寮」   和田 敬典
・《東坡易傳》中的軍事思想―以《易》師卦、隨卦、夬卦的解釋爲中心   加藤 眞司
・清代詩經學中的詩序論   江尻 徹誠
・睡虎地秦簡《日書》的神煞―中國古代擇日初探―   大野 裕司
9月25日
・科擧制度を對象とする思想史的研究の可能性と課題   福岡教育大學教授 鶴成 久章
10月12日
・唐宋科擧制度的變遷   北京大學歴史系教授 張  希清
11月2日 ―卒業論文構想發表會―
・告子の仁内義外説とその性説―孟子と告子の議論の再評價   文  盛載
11月13日
・重寫《周易》―談談在中國古代寫本文化中抄寫的詮釋作用   シカゴ大學教授 Edward Louis Shaughnessy(夏含夷)
12月21日
・『書經』文侯之命篇に見える「用會紹乃辟」と逨盤に見える「會康王」の比較檢討   和田 敬典

[特別講演會]
8月13日
・Inscribing Orthodoxy:Polemics and Philoso‐phical Construction in Zhu Xi’s Commentary on the Four Books
イリノイ大學教授 Kai‐wing Chow(周啓榮)

9月26日
・明成化年間における八股文の成立をめぐって   福岡教育大學教授 鶴成 久章
11月14日
・《周易》元亨利貞新解―兼論周代習貞習慣與《周易》卦爻辭的形成   シカゴ大學教授 Edward Louis Shaughnessy(夏含夷)
[大會]
第37回大會
8月10日、於北海道大學文系總合研究棟W308室
・大田錦城の學術について   水上 雅晴
・朱熹の「已發未發」説について   藤女子大学教授 名畑 嘉則
・印刷、科舉、與經學:從《四書》注看清代經學的轉折   イリノイ大學教授 Kai‐wing Chow(周啓榮)
○刊行物
『中國哲學』第35號(8月)

(水上雅晴 記)

◎東北支那學例會

○2月例會
2月19日
(卒業論文発表会、中文・中思分野のみ抜粋)
・『呂氏春秋』十二紀における天人観   相馬 慎哉
・『淮南子』の処世術について   遠藤 理津
・『漢武帝内伝』における西王母像について   鈴木  匠
・曹丕詩歌研究―三国魏の文帝の詩人としての顔―   堀  清志
・『抱朴子』内篇にみえる儒・道両思想の並存について   土肥 桃果
2月20日
(修士論文発表会、中文・中思分野のみ抜粋)
・白居易研究―子どもの性差に着目して―   薄木佐知子
○4月例会
4月21日(新入生歓迎会)
・制度と意識―中国史史料の問題点―   熊本  崇

(大山岩根 記)

◎東北中国学会

第56回大会 5月26日、27日
第1日 於山形大学小白川キャンパス
理学部先端科学実験棟大講義室
[研究発表]
・先秦時代の華夷観念と秦律の「夏」   日本学術振興会特別研究員 渡邉 英幸
・南北朝期の詩歌に見える芳香と女性の表現について   相模女子大学 狩野  雄
[公開講演]
(漢字文化振興会・東北中国学会・中国文史哲研究会共催)
・内藤湖南の学問
明星学苑顧問・東北大学名誉教授・鹿角市先人顕彰館名誉館長 寺田 隆信
第2日 於蔵王温泉 蔵王国際ホテル
[研究発表]
第一分科会(文学・哲学)
・墨家の天・鬼・人について   大谷大学大学院 嘉村  誠
・『老子指帰』の思想史上の位置   東北大学大学院 高橋 睦美
・晋楽所奏に関する一考察―曹植「怨詩行」について―   大谷大学大学院 一澤 美帆
・焦循の「一貫」思想をめぐって   東北大学大学院 尾崎順一郎
・芻蕘とは誰か―その形象と諸相―   東北学院大学 塚本 信也
※第二分科会(史学)は省略

(大山岩根 記)

◎東北大学中国哲学読書会

第160回 11月16日(卒業論文構想発表会)
・五斗米道における治療行為とその宗教的意味   片岡 純也
・米芾における平淡と天真   池田 千晶
・蘇轍『老子解』における「道」について   渡邊 秀一
・朱熹の孔子観―『四書集注』を中心に―   加藤 祐一
・佐藤一斎の思想について―『伝習録欄外書』をてがかりに―   綿谷浩太郎

(大山岩根 記)

◎東北大学中国文学談話会

第168回 7月17日(卒業論文構想発表会)
・楽府×詩経   高橋 良知
・物語に表れる民情―唐代伝奇を中心に―   岡島 君和
・日中同形語の対照研究   小林真登香
第169回 11月13日(卒業論文中間発表会)
・モティーフによる『詩経』所収詩の考察   高橋 良知
・日中同形語に関する考察   小林真登香

(大山岩根 記)

◎秋田中国学会

平成19年度春季例会(5月19日、於秋田大学)
・東晋五胡十六国における皇帝と天王   秋田大学 内田 昌功
・満林花文庫のうちそと   学芸館満林花文庫 藤原  茂
平成19年度秋季例会(11月17日、於鹿角市)
・本居宣長と中国   本会会員 西村 伸平
・秋田時代の書簡―湖南と父調一とのかかわり―   内藤湖南先生顕彰会前会長 相川  積

(吉永慎二郎 記)

◎筑波中国学会

○例会
6月7日(木)
・初唐期における左思の受容   有馬 みち
6月21日(木)
・唐代の女流詩人魚玄機の詩における感情の表出について   大塚 千晶
9月20日(木)
・梁簡文帝の詠物詩について   鎌田 崇嗣
10月11日(木)
・『水滸伝』における燕青像   花岡 亜希
11月1日(木)
・王漁洋の「神韻」について   荒井  礼

(稀代麻也子 記)

◎中国文化学会

○例会
3月4日(土) 於筑波大学附属中学校
・『詩経』に見える植物の採取動詞について   柴田 知津
9月24日(月) 於筑波大学
・梁簡文帝の詠物詩について   鎌田 崇嗣
・ヨーロッパにおける朱子学の受容   井川 義次
12月8日(土) 於筑波大学東京キャンパス
・唐代の女流詩人魚玄機の詩における感情の表出について   大塚 千晶
・侯景の乱と庾信―「哀江南賦」論を基礎として   安藤 信廣

○大会
6月30日 於二松学舎大学
[研究発表]
・隋煬帝詩試論   樋口 泰裕
・杜牧の『孫子注』について   高橋 未来
・中日翻訳の誤訳例と問題点   舟部 淑子
・主従複文中の仮定について   安藤 好恵
・暑さを詠う賦をめぐって   小嶋明紀子
・鄭玄と王粛   渡辺 義浩
・『日本昔話大成』の見直しの必要性に関する中国文学研究の立場からの提言   高橋  稔
[講演]
・西洋古典の初期刊本をめぐって   細井 敦子

(小松建男 記)

◎六朝学術学会

○講演会(7月14日、於斯文会館)
・論阮籍「詠懐詩」的組詩性与主題類型   北京大学教授 銭  志煕

○例会
第16回研究例会(9月15日、於二松学舎大学)
・韋昭 その文才と史才   大東文化大学大学院 高橋 康浩
・漢代の賦の序について   奈良女子大学 谷口  洋
・六朝文学の杖について   聖徳大学短期大学部 坂口 三樹
○大会
第11回大会(11月18日、於斯文会館)
[研究発表]
・「正統」の成立と三国観――北宋期における曹魏正統論と欧陽脩   大東文化大学非常勤講師 田中 靖彦
・歳時記と歳時詩――重九登高を中心に   和光大学 佐野 誠子
・「らしさ」について――『陶集』竄入の詩と淵明らしさ   筑波大学 稀代麻也子
・原初的「古詩」の性格――『楚辞』九歌との関わりを手がかりとして   県立広島大学 柳川 順子
[記念講演]
・魏晋南北朝時代の公文書行政   大阪市立大学副学長 中村 圭爾

○刊行物
『六朝学術学会報』第8集(3月末日)

(平井 徹 記)

◎国士舘大学漢学会

○第41回大会(2月18日)
[卒業論文発表]
・『荘子』研究   鵜野澤智絵
・『孟子』研究   白土 琢磨
・陶晶孫について   横川 悠太
[研究発表]
・朱子『詩集傳』研究序説―朱子の註釈態度について―   修士一年 重野 宏一
・江戸時代の房総の詩について   鷲野 正明
[特別講演]

・久保天随の漢詩   早稲田大学名誉教授 村山 吉廣
○作詩交流セミナー
・蘇州大学(8月20日~29日)   指導 鷲野 正明

参加学生 12名
○刊行物
『國士舘大學漢學紀要』第9號(3月)

(鷲野正明 記)

◎明清文人研究会

○月例研究会 於湯島聖堂斯文会館
4月30日
・徐渭の時代についての一考察   内山 知也
6月17日
・狂鼓史漁陽三弄について   荒井 雄三
・徐渭の逸話   荒井  禮
9月16日
・呉昌碩書画篆刻学術検討会報告   荒井 雄三
・『四聲猿』について   内山 知也
11月14日
・徐渭と余懐   小塚 由博
・神農について   内山 知也

(鷲野正明 記)

◎日本漢文小説研究会

○月例研究会 於湯島聖堂斯文会館
4月13日
・論文集発刊について
7月15日
・良寛「水神相伝」について   内山 知也
10月8日
・『吾妻新誌』について   荒井  禮
12月16日
・『大客』について   荒井  禮

(鷲野正明 記)

◎無窮會東洋文化研究所

○常設講座
・儀禮正義会読(毎月第2・4日曜日)   栗原 圭介
・金石文研究(毎月第2日曜日)   進藤 英幸
・日知録講義(毎月第3日曜日)   濱  久雄

○教養講座
・中国詩文講義(毎月第1日曜日)   遠藤 光正
・漢詩漢作文(毎月第1日曜日)   遠藤 光正
・史伝講義(毎月第2日曜日)   河村 廣通
・日本漢詩講義(毎月第4日曜日)   村田榮三郎
・幕末文人講義(毎月第2土曜日)   坂口 筑母
・源氏物語講義(毎月第4土曜日)   黒須 重彦

○研究會
・宋史(食貨史)研究會
・文人研究會
・神習文庫研究会

○發表大會
第52回東洋文化談話會発表大會
9月30日(日) 於無窮會東洋文化研究所講堂
[研究発表]
・本田種竹の『懐古田舎詩存』と新出稿本   鈴木  望
・添川廉斎宛石川成章書簡   木部 誠二
・開化期少年の数学研究―露伴の『方陣秘説』   小林 昭夫
・『地球説略』日本版について中村  聡
[シンポジウム]
・古典価値創造のための切り口―無窮会所蔵の転籍群は何を語るか―
1.オントロジの切り口から見えるもの
2.閲覧環境論の可能性

○研究例會
第52回 東洋文化談話會研究例会
1月28日(日)
・平沼騏一郎先生と神習文庫―皇室制度審議会との関係を中心にして―   鈴木  望
・美濃苗木藩領における神葬改宗をめぐって―岐阜県東白川村の事例―   近藤 正則
・江戸時代の墓誌   石田  肇
○刊行物
『東洋文化』復刊第98號(4月20日)
『東洋文化』復刊第99號(9月20日)

(中村 聡 記)

◎宋詞研究會

○研究會
第11回宋代文學研究談話會 5月26日(土)
於早稻田大學・西早稻田キャンパス16號館
2階大議室
[研究發表]
・南宋詩における散文語の詩語化―「爲地」句を例として―   阿部 順子
・日本宮内廳書陵部藏宋本《游宦紀聞》書後   顧  永新
・柳永詞の收録状況から見る『草堂詩餘』   藤原 祐子
・“太學體”及其周邊諸問題   朱   剛
・東坡詩文日本受容史俯瞰   石本 道明
・宋代文學傳播研究的思考   王  兆鵬
・元代江南における散曲と詞をめぐって   中原 健二
[特別講演]
・南宋文人における詩と詞   村上 哲見
○刊行物
『風絮』第3號(3月)

(萩原正樹 記)

◎日本アルタイ語会議
(Altaistic Conference of Japan)

○第3回日本アルタイ語会議
5月19日(土) 於大東文化会館1階ホール
[テーマ]アルタイ諸語及びその周辺言語と漢語
司会 中嶋 幹起
[研究発表]
(日本中国語学会関東支部例会との共催)
・連結母音と連結子音の多様度―アルタイ諸文法における    ハワイ大学名誉教授 清瀬義三郎則府
・五屯語の構造史   フィンランド・ヘルシンキ大学教授 ユハ・ヤンフネン
(Juha Janhunen)
・ドンガン人と東干語   元神田外語大教授 管野 裕臣
・甘粛方言のアルタイ化   大東文化大学 中嶋 幹起
・チュクチ語の複統合性   東京外国語大学AA研 呉人トゥグス
・奈曼(ナイマン)語の位置づけ―語彙面から   東京外国語大学博士課程 ムングンゲルグ
・トルコ語の映像資料からみた音声学的アクセント   大東文化大学 福盛 貴弘

(中嶋幹起 記)

◎中唐文学会

第18回大会 10月5日(金) 於愛知大学
[研究発表]
・嵩山房小林新兵衛による『唐詩訓解』の排斥―江戸と京都における版権闘争―   西南学院高等学校 有木 大輔
・明治の白居易受容―大町桂月『白楽天』(支那文学大綱第二巻)をめぐって―   近畿大学 森岡ゆかり
[研究テーマ中間報告]
・居住空間を描く文学―唐代詩文における園林・住居   京都大学 二宮美那子
・討債鬼故事について   東京大学 福田 素子

(詹 満江 記)

◎名古屋大学中国文学研究室

○研究会
7月5日(木) 中国文学リテラチャーラボ
・中国における七夕伝説について   佐藤 綾花
・三島由紀夫著『金閣寺』とその中国語訳を資料として、日本語と中国語のアスペクト表現を比較する   丹羽 一郎
・叙述と発話―『左傳』の事件構築の方法について   竹内 航治
・柳宗元の伝について   田中 琴恵
・『俳諧類船集』に現れた中日女鬼観―『聊斎志異』を中心に   陳   洲
・郁達夫の小説と日本の私小説との比較~郁達夫の『沈淪』と佐藤春夫の『田園の憂鬱』について   金  明蘭
・史記の項羽本紀   馬  寧澤
11月16日(金) 中国文学リテラチャーラボ
・日本語と中国語の表現の比較~受け身を中心として   丹羽 一郎
・銭謙益の忠節観   新美香菜子
・中国文学における七夕伝説~詩・説話・口承から見た牽牛織女相会伝説の形成過程   佐藤 綾花
・左伝における場面構成の文学的分析~会話文・独語文とそれを支えるもの~   竹内 航治
・『俳諧類船集』と『聊斎志異』から見た日中の鬼神観~鬼という付け合い語を中心に   陳   洲
・郁達夫の小説と日本の私小説との比較~郁達夫の『沈淪』と佐藤春夫の『田園の憂鬱』について   金  明蘭
・史記の項羽本紀   馬  寧澤
○刊行物
『「遊心」の祝福―中国文学者・青木正児の世界』(図録)
『中國語學文學論集』第19輯

(加藤国安 記)

◎名古屋大学中国哲学研究室

○研究会
第43回名古屋大学中国哲学研究会研究会(4月27日)
[研究発表]
・最澄の末法思想   進藤 浩司
第44回研究会(5月25日)
[研究発表]
・試論《韓非子》「忠」概念的意義   小崎 智則
第45回研究会(6月26日)
[研究発表]
・両漢時期蝉形口唅的初歩研究   胡  常春
第46回研究会(11月12日)
[修士論文中間発表]
・道家思想の「自然」についての一考察   キング・ロバート・ジェームズ
・道綽の浄土教の民衆化   近藤 法雄
・皇帝受籙に関する一考察   桟敷 高明
第47回研究会(12月11日)
[研究発表]
・宗密と朱熹の思惟構造の比較―心性論を中心として―   朴  贊榮
○講演会
2月23日 文学研究科退休記念
・「道徳学社」の大同思想   名古屋大学文学研究科教授 竹内 弘行
7月19日
・宗密の天台と『法華経』をめぐる位置づけについて   学習院大学外国語教育センター教授 馬淵 昌也
○刊行物
『名古屋大学中国哲学論集』第6号(竹内弘行教授 退休記念号)(3月31日)

(小崎智則 記)

◎東海中国語・中国語教育研究会
(日本中国語学会東海支部との共催)

第26回 5月19日(土) 於名古屋大学
[創立十周年記念特別企画]
・現代中国語の「有点儿」について   謝   平
・“0”韻母について   周  錦樟
・日中親族名称の比較―言語形式と言語使用の視点から   薛   鳴
・現代中国語の方位詞“上”、“里”について   寺澤 知美
・中国語講義の実践及び成果について   杜  英起
・音韻体系から見た鼻音韻尾脱落の原因   吉田  仁
第27回 10月6日(土) 於愛知大学車道校舎
[創立十周年記念特別企画]
・可能の意味と表現形式   勝川 裕子
・入門初期における効果的な中国語発音指導のあり方への一考察   厳   萍
・移動動作の場所を表わす“在・トコロ”と「トコロ・ヲ」   成戸 浩嗣
・対訳辞書の例を考える   顧  明耀
・インターネット記事の見出しにおけるテンス―対照言語学の視点からー   傅  建良
・現代中国語の補語“起来”について   丸尾  誠

(時 衛国 記)

◎京都大學中國文學會

中國文學會第22回例會
7月14日(土) 京都大學時計臺百周年記念館
・短打戲について   稲澤 夕子
・山野へのまなざし―六朝期、詩人の「個」とその表現をめぐって―   原田 直枝
・郭璞「山海經圖讚」と陶淵明「讀山海經」詩   興膳  宏
○刊行物
『中國文學報』第73册(4月)
『中國文學報』第74册(10月)

(青山剛一郎 記)

◎中國藝文研究會

○合評會及び研究會
4月22日(日) 合評會・研究會
(立命館大學中國文學專攻共同研究室)
・『學林』第44號合評
・殷末先周期の殷周關係―周原甲骨の歴史的位相   高島 敏夫
・『老子指歸』における「氣」   村田  進
・二人同夢―志怪・傳奇における夢の役割―   今場 正美
9月23日(日) 研究會
(立命館大學中國文學專攻共同研究室)
・『老子』三十九章「萬物得一以生」句をめぐって   村田  進
・樂廣の「因」「想」の説について―占夢の歴史の中で―   今場 正美
・中國における日本詞研究   萩原 正樹
12月16日(日) 合評會・研究會
(立命館大學文學部中國文學專攻共同研究室)
・『學林』第45號合評
・中國における蝙蝠のイメージ   中嶋 篤實
・元代北曲【一半兒】から明代南曲【駐雲飛】へ   平塚 順良
・孤本朝鮮本『選詩演義』初探   芳村 弘道
○刊行物
芳村弘道『唐代の詩人と文獻研究』(6月)
『學林』第45號(9月)

(村田 進 記)

◎大谷大学中国文学会

○大谷大学文藝学会公開講演会
7月3日 大谷大学1213教室
・オリンピックを控えた北京の光と翳り   大谷大学准教授 李   青
○中国文学会特別講演会
10月20日 大谷大学マルチメディア演習室
・李清照与魏晋風流   南京大学教授 曹   虹
○中国文学会卒業論文中間発表会
10月30日 大谷大学講堂棟5階談話室
・岑参詩考 ―「雲」について―
・中国の羽衣説話の系譜
・『孔叢子』における孔子像
・『荘子』の中の「夢」 ―内篇と外・雑篇の比較―
・晩唐詩の研究 ―女詩人魚玄機を中心として―
・日中民法比較 ~親族・相続関係の条文を中心に~
・現代中国の民話における狐 ~『365夜故事』を中心に~
・阿Qの精神 ~日本人の受け取り方~
・漢訳推理小説にみる中国
○中国文学会学術公開講演会
12月11日 大谷大学尋源講堂
・中国古典詩の解釈 ―李商隠「楽遊原」を題材に   佛教大学教授 中原 健二
○刊行物
・『文藝論叢』第68号(3月)
・『文藝論叢』第69号(9月)

(稲垣淳央 記)

◎東山之會

○研究發表 於京都女子大學
2月10日
・從發展史觀談唐詩律化研究的可能途徑―以唐代詩格與詩選為核心的探討―   蔡   瑜
3月17日
・白居易所有表現の幾つかの特徴について   二宮美那子
4月28日
・皎然の「強居士傳」について   谷口  匡
5月19日
・中國叙事詩的傳統及其研究課題   林  宗正
6月30日
・南朝蕭氏家族一個特殊的詩魂―蕭綜論―   鄔  國平
7月28日
・嵇康「琴賦」考   上原 尉暢
9月29日
・「詩」と「道」―氷と水のたとえから読み解く―   傍島 史奈
10月27日
・「神童」時代(上)―楊億―   朱   剛
12月15日
・怪奇のゆくえ―歐陽脩と蘇舜欽における韓門文学の受容について―   湯浅 陽子
○『杼山集』譯註(2月10日至12月15日)
卷一「五言奉酬袁使君高寺院新亭對雨」至「五言九月十日」

(愛甲弘志 記)

◎阪神中哲学談話会

第374回例会 3月16日
於関西大学アジア文化交流研究センター
・鎮宅霊符神信仰研究史の整理   山極 哲平
・関西大学CSACの大規模古典データベースについて   二階堂善弘
第375回例会 6月16日
於関西大学アジア文化交流研究センター
・西周期における任命儀礼の形式―特に冊命儀礼の「成立」をめぐって―   佐藤 信弥
第376回例会 9月29日
於関西大学アジア文化交流研究センター
・「宇宙」―時間に関して―   村上 幸造
第377回例会 12月8日
於ホテルルビノ京都堀川
・戴震の『孟子字義疏証』と海保元備の『経学字義古訓』   橋本 高勝

(橋本昭典 記)

◎大阪大学中国学会
http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/xuehui/index.htm

○研究会
6月20日(於大阪大学文学部文法経中庭会議室)
[卒業論文・修士論文構想発表]
・郭店楚簡『老子』の成立と変容について   大野 真愛
・『論衡』における鬼神観   狩野 樹理
・春秋戦国時代から前漢時代までに於ける舜の人物像の変遷について   西田 雄生
11月7日(於大阪大学文学部文法経講義棟演習室4)
[卒業論文・修士論文中間発表]
・郭店楚簡『老子』テキストの変容   大野 真愛
・王充の鬼神観   狩野 樹理
・儒家思想における舜の変容―『孟子』『荀子』を中心に―   西田 雄生
○刊行物
『中国研究集刊』第43号〔為号〕(6月)
『中国研究集刊』第44号〔霜号〕(12月)
『戦国楚簡研究2007』(『中国研究集刊』第45号〔別冊特集号〕)(12月)

(池田光子 記)

◎戦国楚簡研究会
http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/sokankenkyukai/

○国内研究会合
[第32回研究会]
3月23~25日(於大阪大学文学部文法経中庭会議室ほか)
・郭店楚簡『語叢四』篇新解   スコット・クック(Scott Cook 顧史考)
・上博楚簡『弟子問』考釈   福田 哲之
[第34回研究会]
10月6~8日(於名古屋会議室)
・中国西安・上海学術調査報告(原稿)の検討
・『荘王既成 申公臣霊王』釈文   湯浅 邦弘
・『平王問鄭寿』釈文   湯浅 邦弘
・『平王与王子木』釈文   湯浅 邦弘
・上博楚簡『姑成家父』の文献的性格   草野 友子
・上博楚簡『弟子問』考釈(下)   福田 哲之
・上博楚簡『弟子問』の文献的性格   福田 哲之
○国際学術交流
[第33回研究会]
8月28~30日(於西安・長安城堡大酒店〈中国〉)
・『上海博物館蔵戦国楚竹書』第6分冊『慎子曰恭倹』
竹田 健二
・『孔子見季桓子』1号簡の釈読と綴合   福田 哲之
・上博楚簡『弟子問』考釈(下)   福田 哲之
[研究発表・講演]
5月26日
・戦国楚簡和儒家思想―「君子」的意思―(「儒家哲学的典範重構与経典詮釈」国際学術研討会〈主催:東呉大学〉、於台湾・東呉大学)   湯浅 邦弘
5月27日
・上博楚簡『三徳』的天人相関思想(戰國楚簡文哲研讀會、於台湾・国立政治大学)   湯浅 邦弘
[学術調査]
・8月27~9月2日、中国西安・上海学術調査(科学研究費基盤研究B、2005~2008年度、代表者湯浅邦弘)
参加者:浅野 裕一(東北大学大学院)
湯浅 邦弘(大阪大学大学院)
福田 哲之(島根大学)
竹田 健二(島根大学)
菅本 大二(梅花女子大学)
白  雨田(大阪大学大学院院生)
福田 一也(日本学術振興会特別研究員)
なお、本調査の詳細を、「中国西安・上海学術調査報告」として『戦国楚簡研究2007』に掲載。

(池田光子 記)

◎懐徳堂研究会
http://www.let.osaka-u.ac.jp/chutetsu/index.html

(大阪大学中国哲学研究室HP内)
○研究会合
[第10回研究会]
8月6日(於大阪大学文法経中庭会議室)
・懐徳堂の四書受容―中井履軒『大学雑議』の構造―   湯浅 邦弘
・『懐徳堂印存』について   草野 友子
・懐徳堂記念会と中井木莵麻呂との関係―『秋霧記』を中心に―   竹田 健二

(池田光子 記)

◎中国中世文学会

○研究大会
平成19年度研究大会 10月27日(土)
於広島大学文学研究科
・竹林の七賢とその後世への影響について   鷹橋 明久
・中国古典詩における自然の音について ―『詩経』から劉宋まで―   阿部 正和
・白詩所掲張籍「古楽府」の検討   畑村  学
・唐代文学に見られる醜女 ―唐詩に描かれなかった女性像―   橘  英範
・「枕中記」と道教   屋敷 信晴
・鬼の正体―『太平広記』の「鬼部」から―   許   飛
・旧鈔本による唐抄本の復元   神鷹 徳治
・『東瀛詩選』に見られる兪樾の修改―兪樾の拘りと日本漢詩人の個性について―   郭   穎
○例会
1月25日
・六朝詩における「釣り」の描写―典故について―
佐伯 雅宣
2月22日
・『蒙求和歌』第五「恋部」について   章   剣
4月26日
・韋応物の「清」字を使った詩―「同韓郎中閑庭南望秋景」詩   山田 和大
5月31日
・『世説新語』に見る人物評価   宗近 倫子
・「杜甫詩研究」の方向   市原 里美
6月28日
・『東瀛詩選』における兪樾の修改   郭   穎
7月26日
・姚合の詩―白居易との関連を中心に―   中木  愛
10月18日
・平成19年度研究大会発表補足資料作成
11月29日
・日中における唐詩解釈異同の研究―『唐詩選国字解』を主として―   何   薇
・中国における日本製近代語の借用―専門語を中心に―   趙  英来
12月20日
・韓愈の初期の文章―この時期に特徴的と思われるモチーフとその表現について―   渡辺志津夫
○刊行物
『中国中世文学研究』第51号(3月)
『中国中世文学研究』第52号(9月)

(富永一登 記)

◎広島大学中国文学研究室

○中国文学研究室研究会
第135回 1月26日(修士論文最終発表会)
・建安文学研究―王粲を中心として―   平尾 智美
第136回 2月14日(卒業論文最終発表会)
・漢高祖功臣の人物像の変遷   水島  彩
・『三国志』研究 ―史実と小説の狭間に揺れる曹操―   中本 雅代
・『警世通言』第十三巻「三現身包龍図断冤」の研究   戸田恵美子
第137回 5月28日
・韋応物の自然詩について―「清」字の使われ方―   山田 和大
・『蒙求和歌』恋部について   章   剣
第138回 6月26日(修士論文最終発表会)
・慣用句の日中対照研究―「手」という語を含む慣用句を中心に―   張   蹊
・江戸川柳に見られる「三国志」   葛  暁熹
第139回 7月27日(卒業論文中間発表会Ⅰ)
・古詩十九首について   平山 由梨
・左思詩研究―「嬌女詩」を中心に―   手賀ちひろ
・駱賓王詩研究   種村由季子
・唐代小説に見られる女性   濱田 亜弓
・李清照詞研究―「花」のイメージを中心に―   村上  史
・魯迅「祝福」研究―誰が祥林嫂を殺したか―   長田 千晶
・王蒙『胡蝶』研究―革命の中の人間性について―   井上 幸愛
・『孼子』の男はなぜ女性化されなければならないのか   深谷 育美
第140回 11月26日(卒業論文中間発表会Ⅱ)
・「古詩十九首」研究   平山 由梨
・左思詩研究―「嬌女詩」を中心に―   手賀ちひろ
・駱賓王詩研究   種村由季子
・唐代小説に見られる女性   濱田 亜弓
・李清照詞研究―「梅花」のイメージを中心に―   村上  史
・魯迅「祝福」研究―誰が祥林嫂を殺したか―   長田 千晶
・王蒙『胡蝶』研究―革命の中の人間性について―   井上 幸愛
・白先勇『孼子』研究―母親の象徴性―   深谷 育美
第141回 12月21日(修士論文中間発表会Ⅰ)
・支遁研究   宗近 倫子
○刊行物
『中国学研究論集』第18号(4月)
『中国学研究論集』第19号(12月)

(富永一登 記)

◎廣島大學中國思想文化學教室

第174回研究會(卒業論文發表)
9月11日
・『史記』における華夷觀―春秋時代を中心に―   下花  徹
第175回研究會(卒業論文・修士論文中間發表)
11月15日
・商鞅の變法について   上口 花代
・「樂記」の音樂論   花岡  裕
・『莊子』研究―マイノリティの語る場―   片嶋  誠

(野間文史 記)

◎山口中国学会

○例会
6月16日(土)
於山口大学人文学部2号館第5講義室
[研究発表]
・月舟寿桂『山谷幻雲抄』考   根ヶ山 徹
・秦漢代の“石”について   馬   彪
○山口中国学会大会
12月15日(土)
於山口大学人文学部2号館第5講義室
[研究発表]
・博山炉の誕生における南方香炉と西域香炉の融合   長村 真吾

[講演]
・従生活到芸術―土家族民間工芸的変遷   三峡大学武陵民俗研究院院長 黄  柏権
通訳 徳永 彩理

(根ヶ山徹 記)

◎香川中国学会

第67回研究発表会 2月3日 於香川大学
・『史記』『漢書』比較考―「高祖本紀」「高帝紀」を中心に―   小濱 千里
・曹操の上書・書簡   渋川 未来

(間嶋潤一 記)

◎第53回中国四国地区中国学会

6月16日 於香川大学
・韋応物の自然詩について―「清」の字の使われ方―   広島大学院生 山田 和大
・『蒙求和歌』恋部について   広島大学院生 章   剣
・林語堂と「新しい女」の創出―『紅牡丹』再読の試み―   銘傳大学(台湾) 王  佑心
[講演]
・王夫之とヘーゲル―弁証法の把握に関する比較考察―   香川大学名誉教授 村瀬 裕也

(間嶋潤一 記)

◎九州中国学会

平成19年度(第55回)九州中国学会大会
5月12、13日 於大分県立芸術文化短期大学
5月12日
・唐代類書『藝文類聚』の部立てと避諱の問題―「淵」・「虎」字の避諱を中心に―   大渕 貴之
・台湾における言語規範整備の試みについて―『國語一字多音審定表』を中心に―   有働 彰子
・中国語の変化の表現について   秋山  淳
・妓女像の系譜―元雑劇『趙盼児風月救風塵』を中心に―   福永 美佳
・聶豹思想の再評価―果たして陽明学の後退か―   牛尾 弘孝
5月13日
・王維輞川荘詩に見える「惆悵」について   陣内 孝文
・「王冕死了父亲」の生成について―認知言語学的なみかたと生成文法的なみかた―   山口 直人
・中村惕斎の詩経観について   張  文朝
・清平山堂刊行の小説をめぐって―内閣文庫蔵本の版式および刻字の状況から―   中里見 敬
・室町期禅林における黄山谷詩注解   根ヶ山 徹
・福永光司蔵書整理と目録作りに当たって   鄧   紅
○刊行物
『九州中国学会報』第45巻(5月)

(中里見敬 記)

◎九州大學中國文學會

○中國文藝座談會
第227回 1月27日
・老舎『離婚』のユーモア表現について   日高 佳子
・元宵節の風俗と文學   吉留 志保
・清代粤西詞學概述   張  學軍
第228回 3月3日
・浙江寧波音における咸摂一等韻の語音變化について   平田 直子
・唐宋古文における計量言語學的考察   東  英壽
第229回 4月28日
・唐代類書『藝文類聚』の部立てと避諱の問題   大渕 貴之
・王維輞川莊詩に見える「惆悵」について   陣内 孝文
・新羅文人崔致遠の詩文に見える唐末節度使高駢の実像   静永  健
第230回 7月7日
・白居易の佚小説「酥香伝」について   陳   翀
・司馬光の洛陽退居生活と『白氏文集』   中尾健一郎
・江戸期『唐詩選』類本とその版権訴訟をめぐって   有木 大輔
第231回 9月8日
・劉辰翁と李賀―劉辰翁評點李賀詩集をめぐって―   奥野新太郎
・郭沫若「訪日雑詠」について   岸田 憲也
・郭沫若『鄭成功』について―執筆意図と鄭成功「顕彰」をめぐって―   松岡 純子
・特別企画 1955年郭沫若一行九大訪問記念写真の放映
第232回 11月10日
・六朝より唐代に至る蘇小小の演変   彭  腊梅
・唐代の奉禮郎と協律郎―李賀の官職とその文學創作―   長谷川真史
・二陸贈答詩中的東南士族   孫  明君
○刊行物
『中國文學論集』第36號(12月)

(陣内孝文 記)

日本中国学会六十年記念行事について

日本中国学会六十年記念行事および事業実行小委員会

2007年12月1日(土)、二松学舎大学において第1回日本中国学会六十年記念行事および事業実行小委員会が開催されました。
出席者は池田知久理事長、池田秀三副理事長、竹下悦子副理事長、川合康三第60回大会運営委員長、渡邉義浩理事(HP特別委員会担当)、仙石知子会員(HP特別委員会委員)、中川諭(幹事)の7名です。

主な審議事項は以下の通りです。
1、名称を「日本中国学会六十年記念行事および事業」とする。
2、記念行事および事業として、次のことを行う。
(1)第60回大会に合わせて、10月10日(金)に顧問懇談会を開催する。
(2)第60回大会の中で行われる総会において、理事長が「日本中国学会六十年の歩み」を報告する。
(3)第60回大会の中で、記念講演会を開催する。
(4)「日本中国学会六十年の歩み」と題するパンフレットを作成する。
(5)『日本中国学会報』第1集~第55集の掲載論文(許諾が取れた論文だけで彙報は含まない)をPDF化し、DVD‐ROMを作成し、会員に配布する。
(6)日本中国学会最近10年間の歩みDVD‐ROMを作成し、会員に配布する。
(7)第60回大会にあわせて開催する京都大学所蔵善本展示会を60年記念行事の一環として位置づける。


研究会案内

◎明清文人研究会
・月例会
会 場 湯島聖堂斯文会館
時 間 13:00~15:00
開催日 4月13日(日)
6月29日(日)
9月21日(日)
11月16日(日)
連絡先 鷲野 正明

◎日本漢文小説研究会
・月例会
会 場 湯島聖堂斯文会館
時 間 13:00~15:00
開催日 5月11日(日)
7月27日(日)
10月12日(日)
12月21日(日)
連絡先 鷲野 正明


第60回大会開催のお知らせと発表者募集

会員各位

陽春の候、会員各位におかれましては益々御清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、日本中国学会第60回大会は京都大学が準備を担当し、本年10月11日(土)、12日(日)の両日に開催することになりました。
つきましては、下記の要領で研究発表者を募集いたしますので、奮って御応募くださいますようお願い申し上げます。

部会 一、哲学・思想 二、文学・語学
時間 発表 20分 質疑応答 10分
締切 6月末日(消印有効)

◎本年は、一、哲学・思想 二、文学・語学の二部会を予定しておりますが、応募状況によっては部会の増設も考えております。

◎発表は、学術的研究の最新の成果で未公刊のものに限ります。発表御希望の方は、氏名(フリガナ・地区・所属)・希望発表部会を明記の上、印字した発表題目および概要(800字以内、テキスト形式の電子ファイル添付)を、締切日までに大会準備会宛にお送りください。なお執筆者による校正はありませんので、完全原稿でお願いいたします。応募者多数の場合は、やむを得ずお断りすることもございますので、御了承ください。

2008年4月

日本中国学会第60回大会準備会 代表 池田 秀三
〒606―8501 京都市左京区吉田本町
京都大学文学研究科
中国語学中国文学研究室